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中国人殉難烈士慰霊塔

 足尾町は、平成7(1995)年に「非核・平和町宣言」を行い、その中で「足尾町は、第2次世界大戦において400余名の犠牲者を出し、また国の施策により銅山の町として中国・朝鮮の人たちに悲しみをもたらした史実があります」と記述されています。
 畑仕事の最中に日本軍に捕らえられ、足尾銅山に強制連行され、途中の船中で死亡者6人、足尾到着までの死亡者5人、終戦による中国へ送還されるまでの1年5ヶ月の間になくなった中国人は98名となります。
 その多くが栄養失調などだといわれています。そのほか、坑内作業中の事故で亡くなった方は5名でした。このように、強制連行・強制労働の厳しい実態があります。
 連行総数257名のうち、亡くなった方109名、足尾町小滝の収容所から坑内外の労働に従事する中での死亡率は42%を越えています。
 昭和47(1972)年9月に日中国交回復の共同声明がなされた翌年7月30日に足尾町銀山平の国民宿舎かじか荘近くに「中国人殉難烈士慰霊塔」が建立されました。
 数千年来の交流の歴史を持つ日中両国が「不再戦」の決意をかためて真の友好を保つためのシンボルとして存在しています。

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中国殉難烈士慰霊塔

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中国人が住んでいた興亜寮跡

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2007年11月16日 14:49に投稿されたエントリーのページです。

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