「足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~」 下野新聞掲載
「足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~」 12月2日開催が下野新聞に掲載された。
当日は、好評の古河機械金属の小型ディーゼル機関車2台に加え、旧国鉄矢板駅で使われた車両も登場。さらにボンネットバスや三輪トラック、ジープなど約50台が集合する。
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「足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~」 12月2日開催が下野新聞に掲載された。
当日は、好評の古河機械金属の小型ディーゼル機関車2台に加え、旧国鉄矢板駅で使われた車両も登場。さらにボンネットバスや三輪トラック、ジープなど約50台が集合する。
「足尾銅山」近代化遺産に認定
経済産業省は、幕末から終戦にかけて日本の産業発展に貢献した歴史的な工場跡や港湾、鉱山などを「近代化産業遺産」に認定。日光市から足尾銅山や日光金谷ホテルが選ばれた。
甘利明経産相は「東洋の奇跡」をつくりあげた先人の努力を知り、地域の発展につなげてもらいたい」とあいさつ。
12月 1日(土)日光アイスバックスvsアニャンハルラ (韓国:安養アイスアリーナ)
日光アイスバックス 2 vs アニャンハルラ 1
ん~イイ! この勢いで連戦をものにするぞ・・・・
選手の勝利の雄叫び を読んでください。
日 光 2点(シュート数16本)
ハルラ 1点(シュート数43本)
(1P)
12:39(日光アイスバックス)1-0:#22中居
(2P)
8:22(アニャンハルラ)1-1
8:49(日光アイスバックス)2-1:#91波多野
次の試合12・2(日) 日光アイスバックス-アニャンハルラ
12月1日 さよなら例会 鬼怒川パークホテルズにて
社団法人今市青年会議所の1年を締めくくる「さよなら例会」が無事終了しました。
涙を浮かべての「理事長あいさつ」・・・・・感無量でした。長谷川理事長、1年間本当にお疲れ様でした。
まさにメンバーが「使命感:自分達で築くという気概」「情熱:諦めづ挑戦する」「フロントランナー:先導者 向かい風を正面からうける」「地域変革:価値ある行動で地域力を向上する」を実戦した価値多い1年でした。JAYCEEとして、地域変革を志す青年として学ぶべき事を多く頂きました。
また、本年度をもって卒業される5名のメンバーには、本当にお世話になりました。お一人お一人との事業を通した思い出が甦ります。ご卒業されても地域のリーダーとしてご活躍しつづけることを願っております。
鬼怒川パークホテルズさんには、多くのご配慮を頂本当にありがとうございました。ご協力により素晴らしい「さよなら例会」になりました。
※後ほど写真UPします。
塩原温泉の現代版湯治ツアーが国土交通省の促進する [ニューツーリズム・流通促進事業]に採択される。
塩原温泉観光協会シューツーリズム研究委員会は、来年1月のモニターツアー開催に向けメニューの研究やデーター収集。力を注ぐ背景には、塩原温泉の宿泊者が年々減少を続け「従来と同じやりかたではじり貧になる」との危機感がある。
12月2日下野新聞掲載
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~ 15tディーゼル
日立製作所製・15tディーゼル機関車・1964(昭和39)年製造・製造番号12811・ロッド式・東洋埠頭(大阪/桜島駅)→東北ポール/共同運輸(岩手/村崎野駅)→栃木県北通運(栃木/矢板駅)を最後に廃車後、足尾駅に移動し保存されました・民間鉄道保存団体所有
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日 10tディーゼル
協三工業製・10tディーゼル機関車・1980(昭和55)年製造・ロッド式・足尾鉱業所にて使用されました・古河機械金属㈱所有
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日 8tディーゼル
日本輸送機(ニチワ)製・8tディーゼル機関車・1965(昭和40)年製造・製造番号1105001・ロッド式・足尾製錬所で使用されました・古河機械金属㈱所有
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日 ボンネットバス
このボンネットバスは会期の12月2日、足尾駅から足尾銅山観光間の無料送迎が行なわれました。
イベントだけでわなく観光シーズンの土・日に、送迎や観光案内が出来たらいいですね。
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日 三輪トラック
マツダT1500 TUBBSN型(昭和41年製)
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日 クライスラー・デソート
映画出演のクライスラー・デソートが登場
<Chrysler Desoto 1938/>
2007年秋封切映画「続・三丁目の夕日」
2007年秋封切映画「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」で女優 黒木瞳氏が乗車。
平成19年12月2日(日) 15:00faceoff アニャンアイスアリーナ
日光アイスバックス 1-1 ハルラ
(1P0-0 2P1-0 3P0-1 OT 0-0)
勝てば対ハルラ戦2勝2敗のイーブンだったのに!おしい・・・・
この4連戦お疲れさまでした。
(次回対戦カード)
12・7(金)日光アイスバックス-中国シャークス (神戸市立ポートアイランドスポーツセンター・19:00faceoff )
12・9(日)日光アイスバックス-中国シャークス (神戸市立ポートアイランドスポーツセンター・14:00faceoff )
東京・深川コークス工場完成 足尾に搬入し製錬に使用する。
市兵衛をめぐる人々 で渋沢栄一が勧めた「コークス」
コークスとは、石炭を蒸し焼き(乾留)した燃料のことである。蒸し焼きにすることで石炭から硫黄、コールタール、ピッチなどの成分が抜ける。燃焼時の発熱量が高く、高温を得ることができることから蒸気機関車や鉄鋼業などを中心に重厚長大産業には欠かせない燃料となっている。外見は石炭に似るが、多孔質であるため金属光沢は石炭に比して弱い。多孔質は、乾留(1,300度以上)の際に石炭中の揮発分が抜けてできるものであり、結果的に炭素の純度が高まり高温度の燃焼を可能とする。
乾留時には石炭ガスとよばれる水素を主成分とする可燃性のガスが得られ、かつては家庭用ガスの主成分となっていたが天然ガスの普及に伴ない現在は姿を消した。また硫黄やベンゼンなど多くの化学製品の原料となるコールタールが副産品として生じる。
ウィキペディアより
本邦最始の自動車
上写真は、本邦に初めて輸入された自動車で、これは明治33年 東宮殿下御成婚の大典を挙げられた時、米国桑港在留の邦人が慶祝の微衷を表さん為、時の領事陸奥廣吉伯の発議によって献上したものである。
陸奥伯は、潤吉君が機会に對する趣味の深いことを知って居るので、この自動車を君宛に積出して、組立方をを一任した。そこで、君は高田商會の技師職工を督して、この光栄ある自動車の組立をなし、献納の運びに到らせたのであった。
発行 五日會 古河潤吉君傳より
古河潤吉には、「趣味」は、多々あったようであるが中でも特異のものは、鉱物、及び、岩石の顕微鏡的研究であったとの事で、愛用の顕微鏡は、アメリカ留学中に父宗光翁より購い貰ったもので、ドイツ フュース会社第二鉱物用です。
下図の書棚は潤吉のライブラリーの1部で、採鉱冶金地質鉱床鉱物に関する参考書が収集されてある写真です。
下図の顕微鏡写真は、潤吉が研究した足尾地方のコーディエライトで、これ等の鉱物薄片を研究し所有していた。
当時の理科大学と地質調査所以外では薄片を作った学者は極めて稀であった。
発行 五日會 古河潤吉君傳より
コーディエライトとは、
趣味、嗜好 「顕微鏡的研究」と「鉱物薄片」で紹介したコーディエライト
菫青(きんせい)と呼ばれる、濃いスミレ色を呈する。(「菫」はスミレと読む)
アルミニウム、マグネシウム、鉄を含む珪酸塩鉱物。斜方晶系に属す。
コーディアライト、ウォーターサファイアとも言われる。
変成岩(火山岩)やペグマタイト中から発見され、六角柱に近い形状の双晶がサクラの花に見えることから「桜石」とも言われる。英名の語源はギリシャ語の紫[ios]といわれる。
多色性を持ち、見る角度により濃淡や色が変わる。青から透明に変わる様子が水面のように見えるためウォーターサファイアとも呼ばれる。強い多色性のため、ダイクロアイト(二色の石の意)ともよばれる。鉱物学名としてコーディエライトとよばれる。これは鉱物学者コーディエの名が語源、書籍によってはラピスラズリとして紹介される。
化学式は Mg2Al4Si5O18 。
宝石・鉱石と、その魔法的伝承、宗教的伝承(PDF)より
日光アイスバックス対vs中国シャークス 12・7
平成19年12月7日(金) 14:00faceoff 神戸市立ポートアイランドスポーツセンター
日光アイスバックス 3-2 中国シャークス
(1P 2-0 2P 2-0 3P 3-2)波多野選手3得点の大活躍
ウォー!よっしや ∩(^∇^)∩
是非是非プレーオフ進出!
(次回対戦カード)
12・9(日)日光アイスバックス-中国シャークス (神戸市立ポートアイランドスポーツセンター・14:00faceoff )
本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。NO.1
足尾の舟石線を走りました。NO.5 本山鉱山神社では最初の鳥居の画像でした。
本殿まで上りましたので紹介します。
明治22(1889)年、銅山繁栄を願う抗夫達によって、旧本山社宅の最上段に本山鉱山神社が建設されました。 神社は、大山祗命(おおやまずみのみこと)、金山彦命(かなやまびこのみこと)、金山姫命(かなやまひめのみこと)の三神が祀られています。足尾に存在する山神社として最古のものです。 立派な彫刻は、関東の名工、磯部儀兵衛平五郎敬信の作が施され、神社には釘を1本もしようしていないたてものです。 周囲には、鳥居2基、石灯籠、水鉢石、狛犬などがあります。 銅山隆盛の頃は、毎年「三神祭」が行なわれ、多くの人々で賑わいました。
3代目・古河虎之助社長写真
本山神社に参拝する3代目・古河虎之助社長。来山時には、かならずお参りをしたという。
社殿建築献金の碑
鉱長 木村長七(きむら ちょうしち)の金500円をはじめ役員や抗夫頭外抗夫一同など、本山抗のあらゆる職種の人達が献金をし、その総額は、3,279円53銭にも達した。金10円を献金した抗部課長 青山七三郎(あおやま しちさぶろう)は、その頃月給12円であったという。この碑は、足尾銅山の黎明期の活気と心意気を伝える貴重な記録である。
明治22年4月28日 社殿竣功式
本山鉱山神社 鉄の灯篭
この灯篭の迫力に感動しました。左右に2つづつありました。
本山鉱山神社 狛犬
阿修羅のごとく迫力の狛犬たち
本山鉱山神社 本堂の四隅の彫り物
本山鉱山神社 本堂の扉
日光アイスバックス対vs中国シャークス 12・9
平成19年12月9日(日) 14:00faceoff 神戸市立ポートアイランドスポーツセンター
日光アイスバックス 6-2 中国シャークス
(1P 2-0 2P 6-1 3P 6-2)8勝10敗 2分(勝点24)
王子製紙に追いつけ!追い越せ!
(次回対戦カード)
12・19(日)日光アイスバックス-西武プリンスラビッツ (青森・八戸市新井田インドアリンク・19:00faceoff )
アイスバックス連勝6得点 下野新聞掲載12月11日
・「積極的にゴールを狙っているのがいい結果につながっている」FW波多野
・伊勢監督納得の快勝。
・のこり10試合は国内チーム。厳しい戦いがつづくが「手応えを感じている」村井主将
”地元プレーオフ開幕「4位以内」も視野にとらえた”
本山鉱山神社 敬神愛国の碑
本山鉱山神社に向かう途中に、敬神愛国の碑を見つけました。
そこに先代の名前がありました。
分かりづらいので白く囲いました。
紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之とあります。
この時代を物語っている年度の表現です。詳しく調べて後日UPしたいと思います。
本山鉱山神社 に登ってきました。 途中の景
この石碑と灯篭の先、目指す山頂に本山鉱山神社がありました。
目指せ「日光博士」 下野新聞12月13日掲載
日光商工会議所は来年度秋を目指し、日光市内の歴史や文化など幅広い分野の知識力を認定する「日光検定(仮称)」を実施する。
市と連携を図り、市民意識の高揚、観光PRにつながると期待する。
観光マイスター制度検討と足尾銅山の世界遺産登録推進に職員配置 下野掲載12月13日
観光マイスター制度:サービス提供の向上と関係者の意識高揚につながる制度を検討する考えを明らかにした。
私も出向している「市観光振興開発推進本部」の中間報告で「観光マイスター」制度が提案された。
日光商工会議所の「日光検定(仮称)」と連携しより効果的となるべきである。
足尾銅山の世界遺産登録推進の為の職員配置:必要に応じて職員を配置したいとの事。
バックス上げ潮 上位照準
通算成績8勝2分け10敗、勝ち点24で6位ながら、5位王子に2点差、4位ハルラ(韓国)には3点差と肉薄。
セルジオ越後SDは、後半戦のを「年末と1月上旬の4試合が重要。ここを集中して戦わせたい」と意気込む。
15,16日に7位の中国シャークスがハイワン(韓国)に連敗を喫すれば、プレーオフが確定するが「選手には後を見ないで前を向かせ追いかける」と気を引き締め、上位進出に照準を置く。
1999年の古河電工チームの廃部依頼、支援が途切れていた古河電工日光事務所が法人会員に入会。
「古河電工の法人会員は大きい。地域で信頼を失っていたが、理解されるようになった」と手ごたえをつかむ。
本山鉱山神社 敬神愛国の碑の建てられた時代を調べてみました。
「紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之」について調べたところ、恥ずかしながら「皇紀(こうき)」について知りました。神武天皇即位の年を元年と定めた紀元。正式には「神武天皇即位紀元」という。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたる。2005年は皇紀2665年になる。日本の歴史は皇紀による始めるゆえ、便宜上的は西暦より易く使えるが今はあまり使う人が見られない。インドネシア独立宣言書にも使われている。なお、神武天皇即位の年代は讖緯説にもとづいて決定された伝説上のものであり、紀元前600年代には日本は弥生時代であり、古墳時代にすらなっていない。
「紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之」は、西暦1898年、明治31年となる。
明治22年に本山鉱山神社が建築され、9年後に敬神愛国の碑が建てられた事になる。
この年足尾銅山では、1896年(明治29)の第一回鉱毒予防工事命令が下ってから、明治36年まで5回の予防工事命令の最中にあり、明治31年は世界唯一の脱硫塔が完成し稼動した年である。
脱硫塔の結果として古河は足尾銅山の稼業停止を回避することが出来たが、公害防止効果は完璧なものではなかった。特に製錬排ガスの処理については、脱硫塔の効率は50%以下で、効果は認められるものの現在の技術から見ると完全なものではないといわざるを得ない。 明治31年秋、大雨のため渡良瀬川が再び大洪水となった。鉱毒予防工事で完成した堆積場の一部が崩壊し、下流で鉱毒問題が再発する。
明治25(1892)年、銅と物資の輸送量えお増やすために足尾・群馬沢入間に軽便馬車鉄道(けいべんばしゃてつどう)を開通させました。
ここは、花崗岩の高い崖が切り立っており、鉄路を開通させることは困難でした。
そこで、岩盤をコの字状に抉り取り、片桟橋を張り出す構造になっています。
断面は、高さ約3m、幅2m、顕著に開削した跡が残る、延長40mの貴重な産業遺跡です。
明治23(1890)年足尾銅山は、資料や食料輸送のため、町内に軽便馬車鉄網を整備し始めました。
この渡良瀬川対岸に残されている石積には、渡良瀬川を渡る馬車鉄道橋台跡です。
切幹から群馬沢入まで延長約6kmを、明治24年(1891)年から、25年にかけてゆっくり、大正3(1914)年に廃止されています。
「足尾五氏」と言われる一族14人が、(日光から移住したとも伝えられている)妙見宮の分身を拝受し、同大3(808)年に氏神として祀り、後に足尾郷14ヶ村の鎮守となりました。
関東三大妙見様の1つといわれています。
境内には、栃木県銘木100選の大檜の、御神木があります。
当初は、現在の中才浄水場のところにありましたが、浄水場をつくるときにこの地にうつされ、名前も磐裂神社に改められました。
磐裂とは、足尾らしい名前の神社です。
「足尾五氏」と言われる一族14人が、(日光から移住したとも伝えられている)妙見宮の分身を拝受し、同大3(808)年に氏神として祀り、後に足尾郷14ヶ村の鎮守となりました。
関東三大妙見様の1つといわれています。
境内には、栃木県銘木100選の大檜の、御神木があります。
当初は、現在の中才浄水場のところにありましたが、浄水場をつくるときにこの地にうつされ、名前も磐裂神社に改められました。
磐裂とは、足尾らしい名前の神社です。
「足尾五氏」と言われる一族14人が、(日光から移住したとも伝えられている)妙見宮の分身を拝受し、同大3(808)年に氏神として祀り、後に足尾郷14ヶ村の鎮守となりました。
関東三大妙見様の1つといわれています。
境内には、栃木県銘木100選の大檜の、御神木があります。
当初は、現在の中才浄水場のところにありましたが、浄水場をつくるときにこの地にうつされ、名前も磐裂神社に改められました。
磐裂とは、足尾らしい名前の神社です。
「足尾五氏」と言われる一族14人が、(日光から移住したとも伝えられている)妙見宮の分身を拝受し、同大3(808)年に氏神として祀り、後に足尾郷14ヶ村の鎮守となりました。
関東三大妙見様の1つといわれています。
境内には、栃木県銘木100選の大檜の、御神木があります。
当初は、現在の中才浄水場のところにありましたが、浄水場をつくるときにこの地にうつされ、名前も磐裂神社に改められました。
磐裂とは、足尾らしい名前の神社です。
栃木県銘木百選
「御神木」記
この御神木(ひもき)は、「生命」の守り木と云われております。町内は、もとより各方面から長寿を願っておとづれます。太平洋戦争当時は出兵兵士が無事帰還帰還を願い御神木の皮をはがして肌身に着け出従しました。
しかし現在では御神木をまもるために皮をはがさずまわりの鎖へ麻を結んで長寿を祈っております。樹齢250年、高さ35m、太さ3.2m、平成元年に栃木県銘木百選に指定されました。
昭和14(1939)年、第3有越索道2,700mが、大峰まで架けられました。
通洞選鉱場から出された廃泥を、有越堆積場や水山堆積場へ運搬するためにつくたれたもので、選鉱裏山にそびえる、2本のコンクリート造りの支柱は、下の支柱が18m、上の支柱が25mあります。
昭和35(1960)年簀子橋堆積場が出来た事によって、使命を終わりました。
現在では、ロープがはずされ、2本の塔だけが残されています。
12月16日の仕事帰りに足尾駅に通りかかると、見慣れない黄色い列車が停車していたので車を止めた。
するとシートをかぶっているはずの日立製作所製・15tディーゼル機関車(1964)に人だかりが出来ている。
あわててシャッターを切った。
なにやら結婚式が行なわれているとの情報・・・・ 凄・・・・
結婚式の流れをまとめると
桐生方面から、見かけた黄色い車両(サロンドわたらせ)に乗り、車内で披露宴がスタート。
↓ 約1時間半の車中(通常の披露宴内容とビンゴゲーム大会を催したとの情報)
足尾駅到着後に、足尾駅に停車してある「キハ35 70」でケーキカットとお色直しが行なわれた。
・お色直しでは、渡良瀬渓谷鉄道の制服?にお色直し!
・ビンゴゲーム大会優勝者は、お色直しの待ち時間に日立製作所製・15tディーゼル機関車(1964)を運転できる。
↓復路、一路桐生方面へ帰る。
なかなか楽しい、驚きの披露宴ですね! 足尾の楽しみかたを教えられました。「貴重な偶然でした。」
DE101678とサロンドわたらせ
キハ35 70 「披露宴ご参加者は皆さん和やかな雰囲気でした。失礼なので当日の画像は、有りません。」
わたらせアートプロジェクト(WAP)のクロージングパーティの画像です。
足尾出身・足尾にゆかりのある人物 伝説・歴史
・日本武尊(ヤマトタケルノミコト) 110年 庚申山に登った。
『古事記』では「倭建命」と表記
日本武尊は、日本神話の中でももっとも武力に優れた英雄のひとりである。
出生は景行天皇の皇子という高貴な身分で、その体躯は幼い頃から雄々しい気迫にあふれていた。
・勝道上人(しょうどうしょうにん) 817年 庚申山に猿田彦神社を祭る。足尾を命名。
少年期から山林修行を行い、762年(天平宝字6年)下野薬師寺の如意僧都に師事して得度受戒した。765年(天平神護元年)には出流山満願寺(栃木市)を開創している。782年(延暦元年)日光山(ニコウ山=二荒山、ふたらさん、男体山)の開山を志し入山、四本龍寺(現輪王寺)を建てる。二荒山神社や輪王寺などにつながる日光山繁栄の源を作った。784年(延暦3年)には中禅寺湖中禅寺を開いた。
・伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう) 宝増寺を創建と伝えられている。
日本天台宗の開祖。(767~822)
伝教大師最澄は学問好きで諸学に優れ、比叡山延暦寺で一切経読破、天台智顗、大乗仏教に傾倒、更には密教、禅など巾広い文化を弟子や学生に伝えます。その中から浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、時宗の一遍、日蓮宗の日蓮、曹洞宗の道元、臨済宗の栄西などが生まれました。
・藤原秀郷 (ふじわらのひでさと )940年 平将門征討の折庚申山で武運を祈る。
佐野が生んだ偉人。平将門の乱を収め、弓馬騎兵の祖として伝説化された。
官位は従四位下、下野守兼武蔵守鎮守府将軍。室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、近江三上山の百足(むかで)退治の伝説で有名。もとは下野掾であったが、平将門追討の功により、従四位下に昇り下野、武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられ、勢力を拡大。源氏、平氏と並ぶ武門の棟梁として、多くの家系を輩出した。
・日蓮上人(にちれんしょうにん) 1265年 薬師堂に巡錫し一泊したと伝えられている。
鎌倉時代の仏教の僧。法華経系諸教派が宗祖とする。死後に皇室から日蓮大菩薩と立正大師の諡号を追贈されている。
・治部・内蔵 (じふ・くら) 1610年 銅鉱を発見する。備前楯の名の起こり。
足尾郷の農民であった治部(じふ)と内蔵(くら)がこの山で露頭している銅鉱石を発見し、日光座禅院座主に報告しました。座主は2人の功績を記念して、この山を農民の生まれた国の名前をとって「備前楯」(びぜんたて)と名付けました。
・佐藤信淵(さとう のぶひろ) 1850年 父と足尾へ来る。
江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家でもある。出羽国雄勝郡郡山村(現秋田県雄勝郡羽後町)出身。
足尾概要
足尾町は、まわりを大小の山々に囲まれた谷間の町です。銅が発見されるまでは、人里はなれたひっそりとした山村でした。
慶長15(1610)年、備前楯山に銅が発見されたと言われています。その後、江戸幕府直営の鉱山として大いに栄え、“足尾千軒”といわれる程、人家も建ちならびました。そして、足尾でとれた銅は東照宮や江戸城、芝の増上寺、上野の寛永寺の屋根に使われたり、寛永通宝(足字銭)というお金にもなり、約2億枚が製造されました。 しだいに銅が取れなくなり、廃山のようになってしまいました。
明治10(1877)年になって「古河市兵衛」が経営するようになりました。そして当時日本の鉱山運営において最新の技術、設備をとり入れた事により、銅山は急速に発展し、我が国の産銅の40%以上を生産し、東洋一の銅山とよばれるようになりました。しかし、産銅の増大に伴い、煙害や水質土壌汚染が広がり、深刻な問題となりました。明治24(1890) 年 田中正造が国会で、足尾銅山鉱毒問題を取り上げ、大きな社会問題へと発展していきました。
大正5(1916)年には人口も、38、428人に達し、県内では宇都宮市(5万8千余人)に次ぐにぎわいを見せました。 その後、戦争のために無計画に掘り出した結果、銅を思うように生産できなくなりました。 ついに、400年近くも続いた「足尾銅山」も昭和48(1973)年2月に様々な歴史を残して閉山となりました。
足尾製錬所は明治17(1884)年に、増大する製錬処理に伴い現在の地に「直利橋(なおりばし)分工場」としてはじまりまりた。明治26(1893)年からは「ベッセマー式転炉」により、32日かかっていた製錬工程を2日間という短期間で、さらに大量製錬できる最新技術を導入しました。
しかし大量製錬伴い亜硫酸ガスも増大しました。
足尾製錬所では、亜硫酸ガスを除去しようと改良を加えてきました。
昭和31(1956)年にはフィンランドのオートクンプ社から自溶炉製錬技術を導入しました。この方法は日本で初めて亜硫酸ガスを止めることができました。さらに煙からは副産物として硫酸を取り出す方式が確立されています。足尾で開発されたこの製錬技術は、日本や世界で現在も活用されている無公害の銅製錬方式です。
昭和48(1973)年に足尾銅山は閉山しますが、製錬所は輸入した鉱石を製錬してきました。平成元(1989)年、足尾線廃止に伴い、貨車輸送が困難になり製錬所は事実上の操業を停止しました。
製錬
鉱石から目的の金属を取り出す工程を「製錬」といいます。鉱石を溶かし銅を取り出す時に、鉱石の中の硫黄分が亜硫酸ガスとなり山の草木を枯らしてしまう原因です。
大宝(701)年創設 日光山輪王寺を本寺とする天台宗のお寺。
廃村となった旧松木村の先祖の無縁仏が合祀されている。また銅山に一生を捧げた渡工夫のお墓が数多くあります。
約400年間にわたり掘り開いた坑道の総延長は1,234km(およそ東京から博多間)、その深さは東京湾の深さに近いまでに達します。
足尾銅山観光はその“日本一の鉱都”とよばれた日本最大の足尾銅山の再現をはかって始められた抗内観光です。
全長700mの抗内を見学すると足尾銅山の歴史や内容だけではなく、鉱山のしくみもよく知る事ができます。薄暗い抗内は江戸時代の手掘りの様子から、現在の機械化されている銅山の様子まで人形を使って年代ごとに紹介されています。
キャラクター“源さん”と一緒に足尾銅山の歴史を旅する探検シアターを見ると足尾銅山のスケールが理解できます。
このほか、場外には、むかしのお金が造られる様子を人形を使ってあらわした「鋳銭座(ちゅうぜんざ)」や足尾銅山で実際に使われていた道具類や産出された鉱石など珍しいものがたくさん展示されている「資料室」があります。
また足尾銅山観光の坑道「通洞抗」は2007年「国史跡指定」を受けています。
下野新聞平成19年11月17日掲載
足尾歴史館は、足尾フアンのための施設です。
そして、多くの方々に足尾をより深く知っていただくための施設です。
足尾をテーマに交流できる施設です。
ここには、江戸時代から昭和まで日本を支え続けてきた町の、移り行く姿を伝える写真など、貴重な資料が展示されています。
足尾銅山の真の姿を、いろいろな角度から再発見してください。
足尾楽迎員協会の方々が「足尾銅山の世界遺産登録」に向けての活動含め、足尾の歴史を熱く楽しく案内してくれます。
明治10(1887) 年、足尾銅山経営を始めた古河市兵衛は、小滝の旧抗(250m先までの堀止)を利用し、明治18年(1885年)7月にこの小滝抗を開抗し、わずか約9m掘り進んだ先に直利(鉱脈)を掘り当てます。
明治26年11月には本山抗(間かく3005m)を貫通し、次に立抗で通洞抗(間かく3276m)とも連絡するようになり備前楯山にむかって3抗から採鉱がすすめられました。これを機に、一つの集落として大いに栄えました。大正年間には、人口1万人余となりました。抗口、社宅や病院、学校、浴場、製錬所、選鉱所、浄水場、運動場などの跡が残っていて当時の人々の生活が伺えます。昭和29(1954)年に閉山となり、たちまちにして廃墟と化しました。今ではこの地に足を運ぶと当時の面影をしのぶことができます。
お勧めランチは、「ないとう食堂」のソースかつ丼です。
かつ3枚のシンプルスタイル!
ソースは、さらさら系でちょっと甘くてくせになります。さくさく衣も軽快で実にうまい。
足尾に来たら食べてもらいたいメニューの一つです。
ソースかつ丼@¥750 テイクアウトも出来ます。
ないとう食堂 栃木県日光市足尾町4430 TEL 0288-93-2455
古河橋は、明治期に架設された道路用橋として、原位置に留めている極めて貴重な足尾銅山の誇れる産業遺産の1つです。
明治18(1885)年古河橋の前身である木造の「直利橋」をかけるが、明治20(1887)年の松木大火で焼失しまし、これを教訓に燃えない橋として道路用鉄道(ワーレントラスト橋)が架設されました。
ドイツ・ハーコート社製で明治23(1890)年 6月に着手しましたが同年8月22日に松木川が大洪水となるなどの被害の中、同年12月28日竣工させる突貫工事でした。
形式は、鋼鉄製、木床版、単径間ボスとリング・ワーレントラス式 ピン結合 橋長48.5mで、上弦材にH形鋼を使用した珍しい形式です。
間藤水力発電所跡 (日光市指定史跡)
明治10年(1877)より足尾銅山を経営した古河市兵衛は、今までの銅山の動力源である、薪、木炭に代わるべきものとして、ドイツのジーメンス電気機械製造会社のヘルマン・ケスラー技師の勧めにより、はじめて水力発電にふみきり、明治23年(1890)12月、この地(上間藤)に原動所(水力発電所)を完成しました。この水力発電は日本で3番目のもので出力298㌔㍗(明治23年7月 下野麻紡積会社 鹿沼工場出力17㌔㍗ 同年10月 日本織物会社 桐生市織姫出力50㌔㍗に継ぐ )松木川上流(現在の足尾ダム下)と深沢川から用水の取入れを行なった。2,9kmの水桶はこの地の山頂の大鉄管に接続し、落水318mの水力によってトルビン式横水車を回転させた。4百馬力の400万馬力の電力は、直ちに揚水機(抗内排水)捲揚機(立抗ケージ用)抗内電車、電灯などに利用、銅山近代化を強力におしすすめる力となった。名残りをとどめる直径1mの鉄管の一部が上の平がけ下にあり、原動所はこの下の渡良瀬川原にあった。
「初めての足尾散策」コース 日帰りマイカープラン
足尾精錬所 → 龍蔵寺 → 古河橋 →
(9:00~9:30) (9:35~9:50) (10:00~10:20)
間藤水力発電所跡 → 足尾歴史館 → 昼食 →
(10:30~10:50) (11:00~12:00) (お勧めレストランご紹介)
![tm_CIMG1964[1].jpg tm_CIMG1964[1].jpg](http://nikko-spot.com/blog/bw_uploads/tm_tm_CIMG1964[1].jpg)
大¥300 小¥200
12月~3月冬季休館
足尾銅山観光 → 小滝抗口跡 → 国民宿舎かじか荘
(13:30~14:30) (14:50~15:00) (15:20~16:00)
![kajika01[1].jpg kajika01[1].jpg](http://nikko-spot.com/blog/bw_uploads/tm_kajika01[1].jpg)
庚申の湯 日帰り入浴
大¥800 小¥500 大¥600 小¥300
車で★日光市内から国道119・122号で25km 約30分
★鬼怒川温泉から国道121号で15 km日光宇都宮有料道 (今市IC~
清滝IC11km)清滝IC~国道122号で20km 約65分
★桐生市内から国道122号で約45km 約60分
※道路の混雑状況で所要時間が延びます。あくまでも目安として参考にしてください。
紅葉シーズンの日光の通過時間が影響します。
セルジオ越後さんの挑戦 2007記者ノート「最後まで見守りたい」
本当に熱い!カリスマ性の前に伝わってくる人間性に感動する。
セルジオ越後氏の挑戦について、コメントが掲載されているので紹介する。
「どうしてアイスホッケーなんですか」。答えは簡単だった。「アイスホッケーを通して、新しい友達がいっぱいできたの。友達が困ってたら助けたくなるでしょ」
村井忠寛主将が話した。「スタッフの熱意がものすごい。どんなに苦しくても絶対についていく」。選手とフロントのゆるぎないゆるぎない信頼関係。
セルジオ氏の凄いのは、スポンサー企業だけに頼らず、草の根にこだわっている点だ。「ボクは、汗をかくために来た。人と会うチャンスを繰り返したいのね」。信念に揺れはない。
草の根の一人として応援したい。
セットと聞いてもピンと来ない方が多いとおもいます。
セットとは槌(つち)の事です。ドイツ語のマーセットが変化してセットにったとか?
江戸時代抗夫は、鑿(のみ)と槌(つち)を使い「狸掘法」などで、露頭(地表に出ている黄銅鉱)を掘っていき銅品位の高い鉱石だけを掘り取って叺(かます)に入れて運び出していたそうです。
そのセットの柄に使用されていた木材が「鎌柄」(カマツカ)別名「ウシコロシ」
この木の枝が柔軟なので牛の鼻輪にすることによるそうです。また,カマツカというのは,枝を鎌の柄にすることから名付けられた名のようです。抗夫が柄に使用された理由も、狭い坑道の中でセットを振り上げ鑿(のみ)を叩く際に、鎌柄の柔軟な性質が採掘の効率を上げたそうです。
各地の山野に普通に生える高さ 5 ~ 8 メートルの落葉低木です。枝の先に複散房花序が出て,直径 8,9 ミリの小さな 5 弁の白い花が集まって咲きます。
後日、山で探して撮影してきます。
クリスマスイブの月は、「red moon」
足尾市街、足尾バイパスから桐生方面、切幹(ぎりみき)を、小滝方面に右折するとすぐに庚申山碑があります。足尾最大の石碑で高さ4m10cm、幅1m70cmあります。
庚申講(こうしんこう)の江戸講中の人たち23人と、足尾宿の頭取、福田真右衛門の寄進によって、慶応元(1865)年に建立されたもので、書は松翁、石工は、日光町(旧日光市)の八十平の作です。
庚申講とは、江戸時代に盛んになった信仰「庚申待(こうしんまち)」のことで、足尾では、比較的銅山に縁の薄い、唐風呂(からふろ)地区や餅が瀬(もちがせ)地区で庚申講が残っています。
サンタがうちにやってくる!! IN 足尾 25 DEP 2007
サンタがうちにやってくる実行委員会のお手伝い!
ついに「サンタ」が足尾にやってきました。
サンタと記念写真
写真のサンタさんの担当は9軒でした。
サンタさんの夢を届ける情熱と、9軒それぞれのサンタさんとの交流に「胸が熱くなる」クリスマスでした。
火薬庫は、明治42(1909)年に宇都野(うつの)につくられました。
レンガ造り1棟、御影石(みかげいし)造り3棟あり、その他にレンガ造りの雷管庫があります。
えのきどいちろう氏 足尾のご案内 火薬庫跡でご紹介したのは雷管庫のようです。
足尾銅山跡 国史跡指定 下野新聞11月17日掲載で紹介しました、宇都野火薬庫は国の史跡に登録されました。
レンガ造り火薬庫
レンガ造り火薬庫
御影石造り
花柄(はながら)地区のはずれに専徳寺跡(せんとくじあと)があります。
銅山最盛期には、商店や料理屋が軒を連ね、とても賑やかだった地区です。
そこに専徳寺がありました。戦時中、強制連行され抗内外の労働に従事し亡くなった捕虜の遺骨が一時納骨されていました。
終戦直後の昭和20年(1945)年10月、亡くなられた方々の慰霊祭もこのお寺で行なわれました。
昭和29(1954)年、小滝の銅山社宅撤収とともに、お寺もなくなりました。
この大きな岩は、通称「燕岩(つばめいわ)」と呼ばれ、その中ほどに刳り貫かれたところがあり、これは昔、小滝抗内で使う火薬を一時貯蔵していた所です。さらに火薬庫の右奥には、削岩機の試し操作のをしてあけた孔が残っています。
「小滝」の地名のの由来になった滝です。
象岩の大曲という大カーブの下です。
小滝にいって来ました。 小滝抗跡で紹介しましたが、冬は草木が枯れているので木々で隠れていた遺跡が顔を出してくれる絶好の季節でもあります。
夏は、生い茂る葉で全く見えませんでした。
枯れた木が、なにか物悲しさをあおります。
11月30日(金)に横浜市で開催された「地域活性化のための近代化産業遺産保存・活用シンポジウム」。このシンポジウムで、日光金谷ホテルを中心とした日光観光関連遺産群と、足尾銅山関連遺産群などに、経済産業省から近代化産業遺産認定証が授与されました。
この事業は、地域における産業や技術発展の歴史などを象徴する優れた産業遺産を選定し、近代化産業遺産として認定するというものです。
選定にあたっては、まず、幕末から戦前にかけての先人の歩みを象徴する産業遺産が募集されました。この公募に応募のあった全国の産業遺産などは、専門家で構成される産業遺産活用委員会で事実確認などが行なわれ、取りまとめられました。最終的には、各地域に点在する約450ヵ所について、それらを関連づける枠組みが地域史・産業史を軸に33のストーリー(物語)にまとめられました。市内では、「外貨獲得と近代日本の国際化に貢献した観光産業草創期の歩みを物語る近代化産業遺産群」というストーリーの構成遺産に、日光金谷ホテルや旧大名ホテル(日光総合支所)、JR日光駅など5件が、「銅輸出などによる近代化への貢献と公害対策への取り組みに見る足尾銅山の歩みを物語る近代化産業遺産群」というストーリーの構成遺産に、古河掛水倶楽部や現在足尾銅山観光として活用されている通洞抗など22件が認定されました。
大正三年(1914)8月26日開通 橋長54.82m
本山出川と町道を跨ぐ橋梁で第二松木川橋と同じく主橋は九州鉄道から払い下げを受けた橋梁です。
当時の施工写真
日本製紙クレインズに連勝しました。
凄い!・・・盛り上がりました。 11人で応援に駆けつけ連勝を祈りました。
ベストメンバーとは程遠いクレインズメンバーだったそうだが、バックスは確実に強く成長している。
年末に本当に良いプレゼントを頂きました。
バックスありがとう!!! 声を出しすぎて喉が痛いです。

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