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武田久吉(1884~1972) 足尾をめぐる人々

武田久吉(1884~1972)アーネスト サトウには日本人妻、武田兼がいた。 そのニ男一女の次男として1884年(明治17年)に生まれ府立一中、東京外語を出て父の母国英国に留学し、帰国後京大、九大、北大などで植物学を講じ、植物学の権威で日本山岳会の創立者の一人。子供の頃から父サトウに連れられて山に出かけ登山や植物に関心をもつようになった。 久吉は「私の登山史は、日光の山から始まったと言ってもよい」と編著「尾瀬と日光」の中で書き、足尾にも度々訪れている。 しかし足尾の煙毒で山が破壊されたことを嘆き足尾の山に入らなくなった言われいます。

森林植物学を専攻した久吉は戦後昭和35年に日本自然保護協会を設立するなどエコロジストの草分けとして知られている。 昭和46年88歳の著作「明治の山旅」のはしがきの中で「わが国国内凡百の山岳は、幾多の遊戯登山大衆の脚下に踏みにじられて、かてて加えて、観光公害の犠牲になり、昔日には到る所で見られた、けがされない自然美は、日々に稀薄となって、今やそれはなかなか求めべくもないと言ったならば、誇張であろうか。と企業のみならず人間についても自然破壊に警告をしている。

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生年月日
1970年9月29日
正座
天秤座
特技
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2008年08月24日 15:52に投稿されたエントリーのページです。

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