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足尾の歴史 アーカイブ

2007年04月24日

足尾銅山の歩んだ歴史 足尾のはげ山の理由

足尾のはげ山の理由

はげ山の存在を、鉱毒(精錬所から出た煙「亜硫酸ガス」)によるものだけだと思っている方が非常におおいようです。
鉱毒問題も理由の1つですが、他に理由が4つ、全てで5つの理由から足尾銅山のはげ山(日本のグランドキャニオン)が存在す理由となる。

・銅の鉱石から、1㌧の銅を精製するための燃料の薪は、同じ重さの1㌧必要され、山の木、約一町歩(いっちょうぶ 9917.36㎡ )(10反)の木材を、1日で必要とした為である。


・山が丸裸になった原因のもう一つは山火事だった。山の火災は伐採後芽生えてきた芽を焼失させ発芽力を低下させた。この山火事の中で一番大きかった火事は1887年4月8日に松木村から発生した。これは祭火が風にあおられて燃え広がり約1100ヘクタール焼失した。これは中禅寺湖の大きさに匹敵する大火事であった。このような山火事が数回起った為である。

・足尾銅山の約400年の歴史で、長さ述べ約1200キロの坑道が掘られており、東京~博多までの距離にあたります。
その坑道全てに、崩れぬよう木材を組む必要があった為である。
勿論、専門の職人がいた。

・足尾銅山全盛期の住まいの多くは、古河の提供する社宅、坑夫長屋が数多く存在した。「足尾1000軒」とも言われた長屋の存在である。
それら全てが木造であり、また多くの材木を必要とした為である。

現在は、NPO法人 足尾に緑を育てる会などが、中心となって足尾の山に緑を復活すべく活動している。


以上

2007年04月30日

足尾駅まつり

足尾駅まつり
4月28日~5月1日まで、足尾駅まつりが、開催されています。
古河鉱業や、わたらせ渓谷鉄道の協力により、足尾の昭和初期に活躍していた車両が、
な・な・なんと、再び魂をこめられ、動いていました(DJとよんでました)。
中には、うごかな車両もありますが(キハ35 70)、展示場になっていました。
ん~、このノストラジックな感じが、本当に似合うまち足尾です。
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足尾の歴史を見つめてきた 山の神

山の神 足尾民芸
山深い足尾の谷々にも石器時代から人々が生活していました。
住民のおおくは、災難や厄病などをすべて魔の仕業と考えていたようです。
山の神はその魔を除き人々の幸せを守る神この神をを祭った処が、山の神という地名で今でも足尾の処々にのこっています。
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2007年05月13日

下野新聞5/12 足尾銅山世界遺産に向け一歩

下野新聞5/12 足尾銅山世界遺産に向け一歩
 「足尾銅山の世界遺産登録推進準備検討委員会」の発足!

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下野新聞5/12 古河が世界遺産への議論に参加!

世界遺産へむけ、足尾が動きだした。
住民の熱意が、「山」うごかす。
古河が世界遺産登録に「前向き」

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2007年06月04日

足尾観光のついでに変わったご利益「通洞鉱山神社」

足尾銅山観光の出口のすぐ前に、通洞鉱山神社があります。
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通洞鉱山神社(つうどうこうざんじんじゃ)
足尾銅山の本山坑、小滝坑、通洞坑の三山にそれぞれ山神社が建てられた。当神社は銅山最盛期の頃の大正9年(1920)に鉱業所がこの地に移設されたとき造営され、以後、山神祭も盛大に行われた。通洞坑の開発は明治18年に着手されたが、それまで足尾銅山発祥地の簀の子橋山神社を祀っていた。

因みに一風変わったご利益があるのでご紹介します。

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だれしでもいつかは年をとります、ちょっと心配なのは、「ぼけ」ではないでしょうか!
楽しい老後を送るためにも今のうちから祈っておいたほうがいいかもしれませんね。

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もう一つは、「いじめ」です。
いくつになっても、「いじめ」は、存在します。
足尾の澄み切った空気の中で、いじめ撲滅を誓いましょう。

2007年06月11日

足尾銅山の足字銭 寛永通宝 面白情報!

時代劇を見ていると、「おあし」という、言葉を耳にする。
「おあし」とは、寛永通宝のことである。
なぜ、寛永通宝を「おあし」と呼ぶのか・・・・・
一説には、足尾銅山でつくられた寛永通宝には、「足」の字が刻まれている、そこから「おあし」と呼ばれていた。・・・・・・・との事だ。なるほど

足字銭 寛永通宝 
寛永通宝(かんえいつうほう)は、日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨。寛永13年 (1636年)に創鋳、幕末まで鋳造された。
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足尾銅山で造られた足字銭鋳造枚数の間違いを紹介しています。 

こしあて

抗夫が自分にあわせて作った尻あて。
江戸、明治、大正、昭和と足尾銅山、約400年の歴史には、岩ばかりの鉱山の中で、少しでも労働環境を良くするための工夫が、沢山あったであろう思います。これもまたその知恵のひとつであり、足尾の文化です。
尻にあててみましたが、これなら少々とがった岩に座っても大丈夫。

足尾銅山観光のHさんに協力して頂撮影しました。

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カーバイトカンテラ

大正初期から昭和35年ころまで使用された、足尾銅山の抗夫が使用した、燃料型ランプ。
上部と下部に分かれたおり、上部に水、下部に燃料を入れ、上部に入れた水が下部の燃料に設定したタイミングで落ちて、燃料が水と混ざるとガス化され、丸い皿のような部位の中心から出てきて燃える仕組みだそうです。
皿状の部分を、磨けば磨くほど、反射よく明るくなるそうです。
面白いのは、カンテラをつるす針金で、抗夫のオリジナルがそこに現れるそうで、岩にかけたり、自分の肩にかけてりと、状況で対応させる為の工夫があったそうです。

しかし、実際に燃えているランプを使用するのは、ちょっと怖いですね。

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銅産量を飛躍的に伸ばした立役者「発破」(ダイナマイト)

「発破」と聞いてなんだか分かる方は、少ないのではないでしょうか。
「発破」とは、ダイナマイトの事で、銅山の岩を効率よく爆破して、進める為の作業のことです。
私の子供のころは、「発破作業」の前に、ウーーー!!!と言うサイレンの後に、山のほうでドカンという爆発音を、耳にしたものです。
その2、ウーーー!!!と言うサイレンの後に「発破」だ「発破」だ「発破」だと、意味もなく駈けずり回った記憶もあります。
下記は、閉山まで使用されていた発破装置と導線です。
ちなみに発破装置の上部、うす紫色の部分に、直径7/8㎜の丸い穴があるが、そこに鍵のような物を差込、ひねると爆破する仕組みだそうです。
「発破作業」を用い、延べ1200キロにも及ぶ足尾銅山内の坑道の長さが確認されており、「発破」という危険と隣り合わせの作業に、当時の緊張感が思い浮かべる。
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2007年06月12日

第二回トロッコ列車ファッションショ-

第二回トロッコ列車ファッションショ-が6月10日に行われた。
私はてっきり、ポスターに雨天中止の文字があったので、中止と勘違いしてしまった。

わたらせ渓谷鉄道のトロッコ列車内で、大正ロマンをイメージさせる着物ファッションショ-と、
途中駅の花輪駅、通洞駅前でのイベントという内容だったそうです。
外でのイベントが中止になり、着物ファッションショ-は、行われた運びだそうです。
足尾が元気になる企画がもっと沢山出てくる事を、心より願っている。
もちろん進んで企画から参加したい。

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2007年07月02日

Mr.Bike 足尾特集 6月号

Mr.Bike 6月号に足尾特集の記載がありました。
俺たちの旅 「そうだ、足尾へ行こう!」 (前編)

足尾銅山観光のHさんから情報を頂きました。貴重な情報ありがとうございます。
雑誌記載後の観光客に、バイカーが増えた気がします。

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Mr.Bike 足尾特集 7月号

Mr.Bike 7月号に足尾特集の記載がありました。
俺たちの旅 「そうだ、足尾へ行こう!」 (後編)

後編で終了は、少々寂しいですが、まだまだ足尾の奥は、深い!
幾度と、足尾を探求してください。

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小滝へ行ってきました。 火薬庫 入り口

実は、火薬庫跡を見たことがありませんでした。
小滝にせっかく上るので、撮影しに来ました。
が・・・・
これは、火薬庫跡の入り口で、この奥に火薬庫跡があると言うではありませんか。
まずは、入り口で許してください。後日撮影してきます。

火薬庫跡は、今年重要指定文化財に指定される予定です。

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それにしても、重みを感じる建物です。

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壁の表面です。 この錆具合が歴史を深さを物語っています。
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小滝へ行って着ました。 小滝の里

昭和29年に、小滝抗が廃止され、小滝に住んでいた人々は、思い思いに山を去っていきました。
盛んであった小滝を偲び昭和39年に碑をたて「小滝会」を結成したそうです。
私の母も小滝生まれです。
ここまでは、狭い道が続きますが、小滝の里は公園のようになっています。
ちょっとした休憩、お弁当、記念写真の場として最適です。

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小滝にいって来ました。 小滝抗跡

小滝の里の正面に足尾銅山の小滝製錬所・選鉱所 跡があります。
小滝抗が開抗され、この地に製錬所(明治30年廃止)・選鉱所(大正9年廃止)が設けられた。
往時のレンガの跡が偲ばれる。
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小滝へいって来ました。 抗夫浴場跡

抗夫浴場跡です。
小滝坑の抗夫たちは、仕事を終えるとなにより先に、身体の汚れを流し疲れをいやすために風呂に入った。さぞ四方山話(よもやま)で賑わったであろう。
直径4m前後である。

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小滝にいって来ました。 小滝橋

明治20年に銅山便道として開削された小滝路に、唯一残された銅製の橋(長さ22.6m巾3.05m)で、大正15年に架設された。
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大正期に撮影された写真
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小滝にいって来ました。 小滝抗跡

小滝抗跡(日光市指定史跡)
明治十年(1877年)足尾銅山経営を始めた古河市兵衛は、小滝の旧抗(250m先までの堀止)を利用し、
明治18年(1885年)7月にこの小滝抗を開抗しました。
明治26年11月には本山抗(間かく3005m)と貫通し、次に立抗で通洞抗(間かく3276m)とも連絡するようになり備前楯山にむかって3抗から採鉱がすすめられました。
この開抗の功労者は笈川清七と木部末次郎であり、当時下駄づくり小屋が一軒しかなかったこの土地に、小滝抗を中心に銅山の施設と集落が出現し、大正年間には、人口1万人余となりました。
昭和29年(1954年)銅山の経営合理化により小滝抗が廃止されるとともに銅山の施設が全部撤去されて今日に至っています。
当時の名残を小滝抗と前岸のさく岩機練習のノミ跡にとどめています。小滝坑の小抗は、旧抗の1つです。
昭和51年3月15日 日光市教育委員会

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大正期に撮影された小滝抗
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小滝へいって来ました。 小滝小学校・第3中学校 跡

小滝小学校・第3中学校 跡 
看板の横から階段がありました。
母の母校とも聞いていて、興味深深で散策しました。
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この階段を2・3回折り返すと、学校の跡です。
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耳を澄ますと鳥の鳴き声と、虫の音だけ・・・・・
静寂のなかに、大正・昭和の小滝小学校・第3中学校の賑わいを想像して見ました。
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熊が出る事もあるそうです。
気おつけて散策下さい。


2007年07月06日

艦上戦斗機「足尾号」 1944

艦上戦斗機「足尾号」 昭和19年 
太平洋戦争に勝つために足尾町民の献金でつくった艦上戦斗機「足尾号」
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目で見る足尾の100年 第5集より

「足尾号」の文字が確認できる。
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当時の標語
「一機でも多く飛行機を!」
「進め1億の火の玉だ!」

2007年07月13日

本山小学校と旧本山迄の線路

現在足尾小学校が完成するまで利用されている本山小学校と、利用されていない旧本山迄の線路。

廃校目前の学校と、使用されていない線路・・・・錆びた鉄橋、寂しさと、懐かしさが混在する。

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下の写真は、1メートル先の線路にピントを合わせてみた。

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2007年07月15日

とちこみIN日光 7月号 足尾掲載

とちこみIN日光 7月号 足尾掲載されています。

田中正造と足尾鉱山についての記事

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2007年07月16日

間藤水力発電所跡 

間藤水力発電所跡を撮影しました。

日本で初の水力発電所である。

銅山の動力源、薪、木炭に変わるべきものとして、ドイツのジーメンス電気機械製造会社より、技術を導入し

たものだそうだ。

なんと400万馬力の電力! 鉄腕アトム4人分である・・・・・・・・

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水が落ちた、大鉄管跡。

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大鉄管のある、道路挟んだ反対側の川には、発電所の館の名残を見ることが出来る

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足尾銅山のトロッコは、アプト式

お客さん:このトロッコは、アプト式なんだ!

私    : ?・・・・・・・・・・・

私    : そうなんですか・・・・

皆さんアプト式をご存知ですか!

アプト式とはこれだ!ワン、ツー、スリー

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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

アプト式(Abt system)とは、ラック式鉄道の方式の一つ。アブト式ともいう。開発者カール・ロマン・アプト(de:Carl Roman Abt 1850-1933)の名前に因む。「アプト」はドイツ語読み。

日本の営業用路線ではこの方式によるラック式鉄道しか存在しなかったため、ラック式鉄道そのものを「アプト式」と誤解して呼ぶ事がある。

なおラック式鉄道にはアプト式の他に、リッゲンバッハ、シュトルプ、ロッヘルの各方式があり、いずれもスイスの鉄道に現存している。

種々あるラック式鉄道のうち「アプト式」とは、複数のラックレール(Rack-rail)およびピニオンギア(Pinion-gear)を位相をずらして設置する方式を指す。複数の歯の位相をずらす事により、駆動力の円滑化および歯の長寿命化を図った。

古河橋を撮影してきました。

古河橋を撮影してきました。

足尾銅山の誇れる産業遺産の1つです。

明治23年(1890)ドイツ・ハーコート社製。 %E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A3%BD.jpg

形式・鋼鉄製、木床版、単径間ボスとリング・ワーレントラス式 ピン結合 

橋長48.5mで、上弦材にH形鋼を使用した珍しい形式だそうです。

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足尾銅山社宅 愛宕下(あたごした) 

足尾銅山社宅 愛宕下(あたごした) を撮影しました。

愛宕下(あたごした) の「赤長屋」と呼ばれた社宅です。 昭和31年には181世帯819人の人口を数えたそうです。 世界遺産登録を目指す、この地区として、ここに付加価値を与える案が必要であると考えます。

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2007年07月17日

管理棒

足尾銅山の中でも管理者が使う「管理棒」とやらを紹介します。

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この棒を所持して、管理職の方が坑内を点検したそうです。

実際に足尾銅山にお勤めだったから、譲り受けた貴重な「管理棒」で、かなり年期が入っています。

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丸いほうで岩、レール等をたたき、音などで状況を判断するそうで、

とがった方で、ダメージのある岩等を、崩すのに使用したそうです。

よく見ると棒のほうに、5cm間隔にノコギリで傷が入っており、スケール代わりにもなるそうです。

また、足尾には、古河専門の鍛屋も存在しました。

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このロゴ!センスがいいですね!

しかし、残念ながらあとづけだそうです。

 

かつら 砕かれた鉱石を集める道具

かつらを撮影しました。

砕かれた鉱石を集める道具です。

握る木材部分が曲がっていますが、これは工夫のオリジナルだそうで、採掘場所や、好みで曲げの角度がまちまちであったそうで、工夫のこだわりがうかがえた箇所でもあったそうでう。

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鉄の部分は、古河から支給されたものだそうでう。

非常に良く出来ている構造に、驚きました。

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足尾銅山物語

足尾銅山物語 著者 小野崎 敏
叔父が、小野崎一徳写真帖 足尾銅山 に継ぐ2冊目、足尾銅山物語を出版。

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2007年07月23日

源さんの足尾銅山採掘紀行 必見 

源さんの足尾銅山採掘紀行を見てから、銅山観光を見学してみよう。

銅山観光のトロッコ列車の乗車前に、5分程度のビデオがある。

5分では語りつくせないが、事前勉強が出来なかった方には、お勧めのビデオである。

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ローダーでの鉱石の積み込み作業!

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こんな感じで、ビデオをみてから、展示品を鑑賞すると面白い。

 

2007年08月06日

通洞 役員住宅を撮影しました 玄関

通洞 役員住宅を撮影しました。

いろいろな方の協力をいただきまして撮影できました。

特にHさん、ご協力ありがとうございました。

歴史的にも価値がある役宅であると思います。

現在は、使用されておりませんが、8年ほど前までは、利用者があったとのことです。

今後、足尾の地域活性に役立っていく場所であってほしいと願っています。

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玄関前

役宅玄関前1.jpg

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通洞 役員住宅を撮影しました 廊下A

通洞 役員住宅を撮影しました 廊下A

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通洞 役員住宅を撮影しました 10畳和室

通洞 役員住宅を撮影しました 10畳和室

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10畳和室から廊下Bにかけて

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10畳和室 出窓

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10畳和室床の間

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通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和押入付室

通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和押入付室

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8畳和押入付室 床

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8畳和押入付室 天井 欄間

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通洞 役員住宅を撮影しました 風呂

通洞 役員住宅を撮影しました 風呂

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風呂場 窓

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風呂場 天井 電気

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下記電気を、棒状の器具(現場になかった)を通し、直接浴槽の水に入れると、

お湯が沸くそうだ。 冬は、かなり時間がかかるそうだ(半日くらい)

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浴槽の写真がありません・・・・・・・・          

通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和室 右上

 通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和室 右上

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6畳和室から見た8畳和室 

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8畳和室 欄間 (神棚は、6畳和室)

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8畳和室 欄間 アップ

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 通洞 役員住宅を撮影しました 廊下B

 通洞 役員住宅を撮影しました 廊下B

通洞 役宅 見取り図.jpg

廊下B 窓

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8畳押入付から撮影した 廊下B窓 正面

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通洞 役員住宅を撮影しました 廊下C

通洞 役員住宅を撮影しました 廊下C

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廊下C 北側

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廊下C 庭側

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通洞 役員住宅を撮影しました 外観

通洞 役員住宅を撮影しました 外観

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窓2

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屋根

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2007年08月18日

足尾銅山の世界遺産登録を推進する会の勉強会

足尾銅山の世界遺産登録を推進する会の勉強会が8/18(土)、行われた。

講師は、栃木県教育委員会事務局 文化財課 課長 江連勝明氏

演題は、「文化財の指定とその活用-世界遺産登録に向けての現状と課題」

主催:足尾銅山の世界遺産登録を推進する会

 

この会に、衆議院議員 森山まゆみ代議士、栃木県知事 福田富一氏、文化庁から文化財部長、文化部長、文化財記念課長とそうそうたる方が参加されました。

足尾銅山の世界遺産登録えの活動が実を結ぶ様、応援していきたいです。

又、そういった街の盛り上がりが、足尾に新たなエネルギーのうねりを起こす事をきたいしています。

 

足尾銅山の世界遺産登録を推進する会 会長 神山勝次氏の 「足尾銅山の世界遺産登録をめざして %E7%A5%9E%E5%B1%B1%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%80%80%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3.jpg

ファイルをダウンロード

2007年08月28日

足尾銅山世界遺産にむけ日光市登録推進検討委が提案書原案

8月28日下野新聞の総合・社会面に足尾の世界遺産にむけた記事が掲載された。

足尾銅山世界遺産にむけたコンセプト3点。

・足尾銅山の近代化

・環境(鉱害)問題対策

・公害防除の歴史と技術

構成遺産候補を絞る。

・通洞抗

・宇都野(うつの)火薬庫ほか40箇所

 

河東委員長のコメント

・「鉱山遺跡は他にもあるが、近代化と鉱害を併せて取り組むのは、今までにない形。現代にも通じる新しいテーマで足尾だからこそアピールできるものだと思う」と話している。

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2007年09月02日

NAVI 10月号に、えのきどいちろう氏コラム「足尾」が掲載 

NAVI 10月号に、えのきどいちろう氏コラム是々非々148回に「足尾」が掲載 !

ご縁あって知り合ったのコラムニストの、「えのきどいちろう氏」を2007年7月27日に足尾を御案内しました。

その時の事の「コラム掲載」です。

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NAVI 文1.jpgNAVI 写真 10.jpg

NAVI 文2.jpg

足尾を御紹介いただけることは何よりです、ありがとうございます。

ん~ しかし、こういった魅力ある、引き込まれる文章をかくこと・・・・・・あこがれますね!

 

2007年09月04日

足尾銅山 鉱毒被害も世界遺産に 下野新聞9月4日

足尾銅山 鉱毒被害も世界遺産に 下野新聞9月4日

鉱毒被害 9月4 下野.jpg

2007年09月05日

経済産業省「近代産業遺産の活用による地域活性化推進事業」の産業遺産視察9月4日

経済産業省の産業遺産視察が、9月4日足尾銅山で行なわれた。

近代産業遺産の活用による地域活性化推進事業の視察である。

経済産業省 日光視察 9月5 下野.jpg

10月にのシンポジュウムにて、評価、認定され、足尾銅山の近代産業遺産への認識、深化が深まること事を期待する。

 

近代産業遺産の活用による地域活性化推進事業の仕様書

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経済産業省2.jpg

経済産業省3.jpg

109年で休校した 神子内小学校 1

神子内小学校を撮ってきました。 1

神子内小学校は、明治(1875)に足尾小学校神子内分校として開校しました。

休校は1984年、それ以来時間は止まっています。

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109年で休校した 神子内小学校 2

神子内小学校 校門 2

校門からの校舎です。(携帯カメラ)

小さい学校で、向かって右が教室、中央が入口、左が職員室の模様です。

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109年で休校した 神子内小学校 3

神子内小学校 廊下 3

下駄箱の上に置き忘れられたラジオ

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木造の廊下・・・・・・・

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すりガラスですら見かけなくなった。

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109年で休校した 神子内小学校 4

神子内小学校 教室4

1クラスにしては広い・・・・ん

反対側にも黒板がある。 真ん中でしきり2クラスにもなる構造。

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黒板消しが残ってました。

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何を思いますか?

きっと私と一緒のひと、いますね。

 

2007年09月07日

世界遺産に向け、リストアップされている足尾銅山通洞抗

世界遺産に向け、登録にリストアップされている足尾銅山通洞抗

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三脚がなかったので・・・・・

足尾銅山観光 トロッコ用のドックヤード発見

足尾銅山観光 トロッコ用の下部修理用の場所があったとは・・・・

銅山観光の出発プラットホームの左は、何故に木材がひいてあるのか分からなかった。

その板を外すと、巾約80cm、長さ2.5メートル、深さ1メートルの空間が現れた!

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なんと階段になっている。

 

2007年09月10日

足尾機械 足尾工場 1

足尾機械 足尾工場  外観 1

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足尾機械 足尾工場 2

足尾機械 足尾工場  緑十字 2

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足尾機械 足尾工場 窓と壁 3

足尾機械 足尾工場  窓と壁 3

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足尾機械 足尾工場 山車 4

足尾機械 足尾工場 山車 4

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足尾機械 足尾工場 天上 5

足尾機械 足尾工場 天上 5

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足尾機械 足尾工場 天上 5

足尾機械 足尾工場 天上 5

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足尾機械 足尾工場 地 6

足尾機械 足尾工場 地 6

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足尾機械 足尾工場 その他 7

足尾機械 足尾工場 その他 7

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2007年09月12日

わたらせ砂防70周年 ふりかえれば未来新聞

わたらせ砂防70周年 ふりかえれば未来新聞に「銅でにぎわう足尾 その光と影」掲載!

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未来新聞 足尾2.jpg

日光市生涯学習情報紙 にこにこ掲載 「思いを馳せよう!足尾まつり」

日光市生涯学習情報紙 「にこにこ」8月発行を見つけました。

掲載は、「思いを馳せよう!足尾まつり」

ブログで5月に、足尾まつりを紹介した。

年々縮小し、継続の危機すら耳にする事があるが、まだまだ諦めていない人たちもいる。

明治、大正、昭和初期のような、地域の住民が本当に盛り上がる足尾祭りの日を期待したい。

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2007年09月16日

赤倉の南橋付近のガソリンスタンド跡

赤倉の南橋付近の灯油の給油機発見!

これは古い・・・・・・スタイルが良いので撮りました。

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なかなかかっこいいです。

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名前は、TOKIKO

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前のおばちゃんが出てきた・・・・「怒られるか!」

すると、「そんなに面白いのかい」・・・・・・・

この間も誰か写真撮ってたよ。 まだ使っているからね 「それ」・・・・・

使用期限は、平成25年12月まで 栃木県とある。 まだまだ頑張ってほしい。

今度は、もうすこしいいカメラで、白黒で撮ってみようなどと考えながらその場を後にした。 

 

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このロゴも気に入っている。

 

2007年09月20日

銅山街道 「江戸経済を担う」 1

銅山街道 「江戸経済を担う」  1

銅山街道 シリーズ5 表紙.jpg

銅山街道 場所.jpg

銅山街道 「江戸経済を担う」 2 足尾

銅山街道 「江戸経済を担う」 2 足尾

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足尾の歴史は、銅山とともにあり、銅鉱脈は、慶長十五年(1610)に発見。その後この銅山は、幕府直営の銅山として発展、この地を治めた代官は、42人という。この銅を江戸へ運んだ道が「あかがね街道と呼ばれた。明治時代になり、一時は、衰退していた銅山が古河市兵衛の手腕で新しい銅山に生まれ変わり東洋一の生産量を誇る。しかし、昭和も後半になると産出も年々減少し、昭和48年2月古河鉱業は、閉山し、長い歴史の幕を閉じる。今の足尾は、観光を主とした町興しを進めている。「足尾銅山観光」温泉を利用した施設の充実。坑内から出る廃泥を利用した「足尾焼」など、恵まれた自然を生かしたハイキングコースや銀山平公園や銅親水公園の整備を進め、いま観光足尾を進めている。

銅山街道 「江戸経済を担う」 3 東村(勢多郡)

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銅山街道の宿場町として、沢入・花輪に銅問屋が設けられたのは、慶安二年(1649)という。また、銅山街道は日光東照宮参拝や男体山登山にも使用されたので、沢入・神戸・花輪は宿場町として賑わった。 「善雄寺の窖薬師は、当山第?慶和尚が人々の病気やけがを救う悲願をたて境内に穴を掘り、生仏として人定、薬師仏となって、今でも人々の信仰を集めている。現在は観光に「兎と亀」など多くの動揺を作詞した石原和三郎の功績をたたえる「動揺ふるさと館」。今話題の詩画・星野富弘の富弘美術館。草木湖一望する国民宿舎「サンレイク草木」など観光資源が豊富。

銅山街道 「江戸経済を担う」 4 黒保根村

銅山街道 黒保根村.jpg

銅山街道が開通すると街道沿いの水沼や宿廻りでは銅山付助郷の御用勤めが多くなった。また、前橋藩の重要な鉱山や木材の産地であった根利と前橋を結ぶ街道も通り、この二つの街道により発展をとげる。赤城山麓にふさわしい赤城信仰に関する寺で、上田沢の「医光寺」には虚空蔵菩薩像がある県重文。常鑑寺梵鐘も県重文。「わたらせ鉄道」の駅の温泉で知られる「水沢温泉センター」が6月29日(土)リニュアルオープン。全国でも貴重な「水源村」宣言をして、水源村宣言記念広場に「水源村」「宣言文」の記念碑ができた。

銅山街道 「江戸経済を担う」 5 大間々町

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銅山街道は始めは、大間々宿にあり、高草木家が銅間屋を務めていたが、大間々宿が前橋藩酒井家所領に編入になったので、延享 年(1746)に桐原宿に変更となった。桐原宿銅問屋は藤生家で銅蔵も現存。桐原郷蔵は「世音寺」の境内にあり、飢饉に備えたもので、蔵とともに宿の文章や、資料もあり資料と併せて県の重文に指定されている。万治年間には絹市が併合され大繁盛し桐生絹市との競合問題にもなった。現在は「わたらせ鉄道」の発着地として、高津戸峡や小平鍾乳洞、親水公園、キャンプ場など観光資源も多い。

銅山街道 「江戸経済を担う」 6 笠懸町

銅山街道 笠懸町.jpg

岩宿遺跡の発見以後、人類の歴史はさらに古く三万年もの昔の日本列島の様子が「岩宿文化資料館」で学べる。江戸時代に、岡上景能が代官として赴任、本格的に笠懸町の開発に取り組み、銅山街道の整備と新田開発をした。そして、久々宇や桃頭の村が誕生した。笠懸野開発拠点とした鹿の川陣屋、この近くに岡上景能公の墓所「国瑞寺」がある。この寺は景能公が開発した村の人々に精神的よりどころとして景能公自身が建立。また、景能公の銅像が建立され、早川石材工業の施行。「岩宿の里」では古代人の生活や資料が展示され楽しく学ぶことが出来る。

2007年09月21日

足尾銅山と足利学校 世界遺産候補に推薦「9月21日下野新聞 1面」

文化庁による世界文化遺産候補の公募に、本県から足尾銅山と足利学校が、9月26日世界遺産候補に推薦。

新聞記事足尾銅山世界遺産にむけ日光市登録推進検討委が提案書原案で紹介ましたが、いよいよ文化庁へ提出です。

足尾銅山は、「足尾銅山の近代化」「環境問題対策」「鉱害防除去の歴史と技術」をアピール、足利学校は、「足利学校のヨーロッパや東アジアとの文化交流」「室町幕府を創設した足利氏ゆかりのばん阿寺と樺崎寺」「文化財保護活動」を提出。

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足尾銅山の世界遺産を推進する会 11月地元でシンポ!

下野新聞9月21日 4面記事「足尾銅山の世界遺産記事3連発」

足尾銅山の世界遺産を推進する会 11月25日、足尾町通洞の市民センターでシンポジウム開催。

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2007年09月24日

銅山街道 「江戸経済を担う」 7 藪塚本町

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大間々扇大地(笠懸野)開発に力を注いだのが岡上景能。景能公は当地の代官に就任するやこの地の開発に着手。特に足尾銅山の銅を早く確実に江戸へ運ぶために、街道(銅山街道)の整備を進めた。寛文4年(1664)岡上用水の開さく工事に着手、同12年4月に完成したという。この岡上用水は銅山街道の整備のため、新しい街道と町割り、人々の生活用水としても利用しようと街道沿いに用水路を開さくし、新田開発も行なった。こうして本町村・六千石村・大久保村などが誕生、銅山街道の宿場として「大原宿」がつくられた。銅問屋西村家。新しい村の精神的なよりどころとして神社や寺院(四寺)も景能公は建立した。神明宮(この境内に岡登霊社が祀られている)・大久保の赤城神社・大原の大原寺、他に笠懸町の国瑞寺がある。菓匠青柳では「岡登まんじゅう」を名物として製造販売をしている。やぶつか温泉郷、温泉の近くには、小説「木枯らし紋次郎」の舞台を再現した「三日月村」や世界の蛇を展示、学術的拠点となっている「ジャパン・スネークセンター」。つつじ山公園には、細川雄太郎の詩「あのこはだあれ」の童謡の碑もある。

2007年09月27日

足尾銅山 世界遺産へ提案書提出 下野新聞 TOP面

足尾銅山 世界遺産へ提案書提出 下野新聞に掲載された。

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足尾銅山 世界遺産へ提案書提出 下野新聞 3面

期待感と慎重姿勢と 世界遺産登録へ提案書

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2007年10月03日

足尾銅山 全景 下野新聞「水紀行」9月30日掲載

足尾銅山製錬所の全景を山頂から撮影した写真が掲載された。

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製錬所 全景 UP.jpg

荒れ果てた山に希望を植える

永遠の緑を想像しながら・・・

人間の知恵信じたい

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本山小学校前の古い鉄橋

本山小学校前に、古い鉄橋がある。

分厚い鉄板を重ねた黒い橋、重厚な威圧感を放っている。

後日調べてみる事にした。報告を期待してほしい。

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この鉄橋から見えた、本山までの線路の跡

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同じくこの鉄橋から見えたトンネルの跡

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2007年10月10日

アノード板 102キロ

足尾銅山観光に展示してあるアノード板は、102キロもあります。

電気精銅のために作られた粗銅で、上部両端には、粗銅の電解の際に電極にかけられる把手がある。

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2007年10月14日

世界遺産候補 選定協議入り 下野新聞10月16日

世界遺産候補 選定協議入り「足尾銅山などの公募」

文化審議会の特別委員会は、10月15日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産の登録に向け、公募で寄せられた地方自治体の提案の中から国内候補を選定する協議に入った。

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2007年10月17日

かじか荘のレストランメニュー NO.1

国民宿舎かじか荘のレストランメニューは、面白い!(食べたくなる)

銅山(やま)のレストランメニュー ~抗夫、その食文化の歴史とストーリー~ NO.1

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銅山で働く鉱夫は厳しい労働に耐えるため肉食を好んで食べました。当時豚肉が手に入らないため鶏をカツフライにして食べて栄養補給をしたそうです。鉱夫の気分になってご賞味下さい。

かじか荘のレストランメニューNO.2

国民宿舎かじか荘のレストランメニューは、面白い!(食べたくなる)

銅山(やま)のレストランメニュー ~抗夫、その食文化の歴史とストーリー~ NO.2

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鉱夫の女房は、1番方(AM6:00出勤)の夫を見送った後、ささやかな朝食を食べたそうです。当館ではそのメニューを忠実に再現しました。健康志向の現代人にぴったりなヘルシーメニューです。

かじか荘のレストランメニューNO.3

国民宿舎かじか荘のレストランメニューは、面白い!(食べたくなる)

銅山(やま)のレストランメニュー ~抗夫、その食文化の歴史とストーリー~ NO.3

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鉱夫の休日は朝から仲間と集まって山で獲ったキジや山鳥を焼いて、どんぶり飯にあんかけを豪快にぶっかけて食べる。その姿は、まるで山賊のようだったそうです。

かじか荘のレストランメニューNO.4

国民宿舎 かじか荘のレストランメニューは、面白い!(食べたくなる)

銅山(やま)のレストランメニュー ~抗夫、その食文化の歴史とストーリー~ NO.4

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銅山で大鉱脈が発見されると「大直利」だと工夫は喜びました。銅山はお酒と当時貴重な豚肉を振舞って鉱夫の苦労に報いました。鉱夫はそれをしょうが焼きにして食べたそうです。

かじか荘のレストランメニューNO.5

国民宿舎 かじか荘のレストランメニューは、面白い!(食べたくなる)

銅山(やま)のレストランメニュー ~抗夫、その食文化の歴史とストーリー~ NO.5

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銅山の勤務は24時間交代制でした。1番方(朝6:00出勤)、2番方(昼3:00出勤)、3番方(夜11:00出勤)この3番方の夕食は真夜中になる為、簡単に食べられるかっ込丼が喜ばれました。

この他に、銅山(やま)のライスカレー(鉱夫も食べた懐かしい味) ¥840(税込)や、一品料理・麺類もあるそうです。食べながら足尾を学べるレストランですね! 実際に食べて写真をUPしたいです。

 

かじか荘のレストランメニューNO.5

国民宿舎 かじか荘のレストランメニューは、面白い!(食べたくなる)

銅山(やま)のレストランメニュー ~抗夫、その食文化の歴史とストーリー~ NO.5

三番方丼.jpg

銅山の勤務は24時間交代制でした。1番方(朝6:00出勤)、2番方(昼3:00出勤)、3番方(夜11:00出勤)この3番方の夕食は真夜中になる為、簡単に食べられるかっ込丼が喜ばれました。

この他に、銅山(やま)のライスカレー(鉱夫も食べた懐かしい味) ¥840(税込)や、一品料理・麺類もあるそうです。食べながら足尾を学べるレストランですね! 実際に食べて写真をUPしたいです。

 

2007年10月18日

わたらせ社宅の共同トイレはモダン!

わたらせ社宅の共同トイレはモダン!

トイレではあるが、なぜか美しいと感じてしまった。

トイレ わたらせ2.jpg

わたらせ社宅のトイレは 和風モダン1.jpg

2007年10月22日

足尾銅山の鉱石「孔雀石」

足尾銅山の鉱石「孔雀石」を頂ました。

この青の深さに魅了させられてしまいます。

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孔雀石

深い緑色と、カットしたときに表れる独特の縞模様が大きな特徴となっています。この緑色が「ゼニアオイ」という植物に似ていることから、ギリシャ語でこの植物を意味する "malacha" に由来してマラカイトと名付けられました。また和名の孔雀石は、石の模様が孔雀の羽模様に似ていたことに由来しています。

 この石が採掘される環境は銅床となっている場合がほとんどで、形成成分にも銅が多く含まれています。単斜晶系という結晶系に属してはいますが、塊状や粒状で発見される場合がほとんどで、結晶の形で発見されることはほとんどありません。しかし、まれにトゲを密集させたような針状結晶のものが発見されることもあります。これは塊状のものとは全く違った形状をしており、規則的な形を成しているのが見てわかります(寒い地方でよく見られる霜に似ています)。

2007年10月23日

足尾の四季

足尾の四季

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足尾の四季・庚申山の歌楽譜表紙

「足尾の四季」 作詞作曲 青山勇  補曲 関根 寿美子

1、春晴千里水清く 霞とまがふ桜花 はる酣の渡良瀬や

2、夏庚申の滝の根 緑滴る満山に 雲紅の夕日影

3、薄戦く山の峰 脱硫塔の影黒く 月中天に秋深し

4、男体颪吹き荒れて 白皓々の備前建楯 幌馬車急ぐ暮れの町

<足尾の四季製作時不詳、昭和初期の作と推定>

目で見る足尾の百年より <発行者>足尾AV企画センター

 

 

庚申山の歌

庚申山の歌

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足尾の四季・庚申山の歌楽譜表紙

庚申山の歌

1、親しき友よ打連れて 庚申山に遊歩せん 春は八汐に石橘花に 秋は紅葉の綾錦

2、小滝銀山越え行けば 谿は狭りて千尋の 仙境に入る心地して 揺れる心地して

3、滝の飛沫は雲と湧き 響谷間にこだまして 山吹つつじ蔓葛 八汐の葉蔭五光岩

4、昼尚暗き樹々の下 景色をめでて杖ひけば 道のほとりに幾千の 天狗の投石面白や

5、峰に友呼ぶ鹿の声 木の間を渡る猿の群 疲れを憩ふ休み茶屋 一の鳥居の登り口

6、登れば程なく大鳥居 やがて神社の拝殿ぞ 谷は開けて四方の峰 花も紅葉も美しや

7、礼拝をへて一休み 渋茶に喉をうるほして お山廻りにいざゆかん 水牛石や蛙石

8、百間幕や鳥帽子岩 天狗の腰掛文字石 空に聳ゆる石門を 潜れば眺め麗しや

9、海抜六千余尺なる 奇岩霊石萬形の 苔むす岩に庚申草 世に珍しき国草よ

10、鎖にすがり横這いの 親子知らず難所をば 無事に渡れが岩が根の 鬼の髭すり見渡し台

11、昔勝道正人が祈願行場の遺跡あり 名勝の地庚申の 命を祭る奥の院

12、更に登れば剣が峰 足尾連山一望に 眺めは広く男体も 指顧の間に見ゆるなり

<庚申山の歌制作時期不詳、昭和初期の作と推定>

目で見る足尾の百年より<発行者>足尾AV企画センター

 

足尾銅山 産業遺産群に 下野新聞10月23日掲載 NO.1

経済産業省が、日本の近代化をけん引した歴史的な工場跡や、鉱山などに「産業遺産群」を認定する。経済産業省原案、地域活性化へ全国300ヶ所を個別遺産で構成。産業遺産活用委員会で議論し、11月30日横浜で開かれる同省主催シンポジュウムで認定式を行なう予定。

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足尾銅山 産業遺産群に 下野新聞10月23日掲載 NO.2

経済産業省が地域活性化一環として今年から認定を始めた。

近代化、テーマ別に紹介し、偉人や有名企業も盛り込んでストーリ性を持たせた点が特徴。

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2007年10月25日

昭和初期の保安帽

昭和初期まで使用された足尾銅山の保安帽

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硬い皮製です。 プラスチックのヘルメットになるまでは、こちらを使用したようだ。

かぶってみたが、やはり皮製なので小さい石の落石でも少々心配な気がした。

本当に命がけである。

カーバイトカンテラ 2

カーバイトカンテラ を保安帽に装着タイプ

以前にカーバイトカンテラを紹介したが、新たしいタイプを見つけたので紹介します。

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保安帽 カンテラ UP.jpg

Kカンテラ+帽子 いらすと.jpg

残念ながらつないでいたホース状のラインは、見あたらなかったので手書きしてみました。

 

2007年10月28日

抗夫浴場跡の追加情報

抗夫浴場跡の追加情報

小滝へいって来ました。 抗夫浴場跡で写真を紹介しました。

何故外側と内側に分かれているか不思議に思っていました。話を聞くところによると、外側の湯で汚れきった体を洗い流し、さっぱりしたところで内側の湯に入るそうです。社宅へ戻ると共同浴場が有りましたが抗夫は利用せず、女性や子供が主に利用したそうです。

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足尾芸術際 

日光市民文化祭 第二回 足尾芸術際を見てきました。

今回のテーマは、「極」

すばらしい作品が展示されていました。足尾小学校の「あかがね太鼓少年隊」にもう少しで間に合いませんでした。

足尾芸術際 ポスター.jpg

足尾芸術際ポスター

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足尾芸術際案内

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すばらしいですね!

2007年10月30日

日光そばまつり 市内各地連携 下野新聞掲載

今市JC11月例会 「いってみっけ日光」 再び新聞掲載 10月30日

沢山の方々のご来場心よりお待ちしております。

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2007年10月31日

10/31 足尾の紅葉

10/31 足尾の紅葉情報

旧日光から、日足トンネルを抜けた風景です。 

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2007年11月01日

広報にっこう 11月号に「足尾銅山を世界遺産へ」が掲載

足尾銅山の世界遺産へ

足尾銅山の世界遺産登録へ向けてのコンセプト、構成資産の概要、世界遺産登録についてなどが紹介された。

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古河橋のハーコート社の銘板

古河橋のハーコート社の銘板を撮影してきました。

古河橋を撮影してきました。で紹介しましたが「ハーコート社の銘板」の画像が有りませんでしたので追加しました。

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年代を感じる銘板は、それだけで絵になります。

足尾銅山を世界遺産に 11/25シンポジュウム

足尾銅山を世界遺産に 11/25 シンポジュウムが開催される!

場所:日光市足尾市民センター 

日時:19年11月25日(日) 13:00~15:45

基調講演 

演題:足尾銅山の世界遺産の価値 -日本の近代化・産業化と公害対策の起点-

講師:永井 護 氏 (宇都宮大学工学部教授・工学博士)

アトラクション:足尾石刀節

パネルディスカッション:

コーディネーター:若林 春美氏(下野新聞社編集委員)

パネラー  : 河東 義之氏(千葉工業大学教授・工学博士)

       : 小野崎 敏氏(日鉄鉱業株式会社名誉顧問)

       : 近藤 功氏(富岡製糸場世界遺産伝道協会会長)

       : 永井 護氏(宇都宮大学工学部教授・工学博士)

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2007年11月02日

市議会からこんにちは 銀山平キャンプ場(足尾)の紅葉

市議会からこんにちは 銀山平キャンプ場(足尾)が表紙掲載10月25日発行 NO.6

紅葉がピークを迎えています。

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銀山平キャンプ場(足尾)

銀山平キャンプ場は、足尾地域の西部に位置し、バンガロー、テントサイトや生産展示直売所などを備えたキャンプ場です。隣接する「国民宿舎かじか荘」では、日帰り入浴ができます。なお、紅葉のみごろは10月下旬から11月中旬です。(キャンプ場の営業期間は4月1日~11月30です。)

市議会からこんにちは表紙うより

 

2007年11月05日

今市JC11月例会 「いってみっけ日光」無事終了しました。足尾茶屋マップA

足尾茶屋マップの地図を紹介します。

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今市JC11月例会 「いってみっけ日光」無事終了しました。足尾茶屋マップ「歴史めぐり」

今市JC11月例会 「いってみっけ日光」無事終了しました。足尾茶屋マップ「歴史めぐり」

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足尾銅山で採掘された鉱石 黄銅鉱 NO.1

足尾銅山で採掘された鉱石 黄銅鉱 NO.1

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黄銅鉱(おうどうこう)は銅の硫化鉱物の一つ。英名である「キャルコパイライト」は、ギリシャ語で銅を意味する「キャルコ」と、火を意味する「プリテス」とが組み合わさったもの。「黄銅」鉱という名前だが、これを精錬して黄銅(真鍮)をとる訳ではない。銅と鉄、硫黄からなり、化学組成:CuFeS2で表される。微量の金、銀、錫、亜鉛などを含み、少量のニッケルやセレンを含むものもある。最も重要な銅の鉱石鉱物。色は普通、真鍮様の黄色であるが、かなり黄色味の薄いものも珍しくは無い。そのようなものはしばしば黄鉄鉱と見分けるのが難しい。金属光沢を持つ。表面の色は時間とともに変わりやすく、黒みを帯びていく。条痕色は緑黒色。外見は黄鉄鉱と似るが、黄鉄鉱よりも黄色味が強い傾向があることや条痕色により区別できる。

足尾銅山で採掘された鉱石 黄銅鉱 NO.2

足尾銅山で採掘された鉱石 黄銅鉱 NO.2

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黄銅鉱(おうどうこう)は銅の硫化鉱物の一つ。英名である「キャルコパイライト」は、ギリシャ語で銅を意味する「キャルコ」と、火を意味する「プリテス」とが組み合わさったもの。「黄銅」鉱という名前だが、これを精錬して黄銅(真鍮)をとる訳ではない。銅と鉄、硫黄からなり、化学組成:CuFeS2で表される。微量の金、銀、錫、亜鉛などを含み、少量のニッケルやセレンを含むものもある。最も重要な銅の鉱石鉱物。色は普通、真鍮様の黄色であるが、かなり黄色味の薄いものも珍しくは無い。そのようなものはしばしば黄鉄鉱と見分けるのが難しい。金属光沢を持つ。表面の色は時間とともに変わりやすく、黒みを帯びていく。条痕色は緑黒色。外見は黄鉄鉱と似るが、黄鉄鉱よりも黄色味が強い傾向があることや条痕色により区別できる。

2007年11月08日

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 表紙

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 表紙

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 古河市兵衛翁

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 古河市兵衛翁

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 本山製錬所全景

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 本山製錬所全景

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 小滝中央工場全景

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 小滝中央工場全景

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 有木抗口前にて

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 有木抗口前にて

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 馬車鉄道貨物運搬

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 馬車鉄道貨物運搬

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 間藤電気原働所

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 間藤電気原働所

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 銅山構内電気鉄道

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 銅山構内電気鉄道

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 製銅炉工場

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 製銅炉工場

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 脱硫塔築造「夜景」

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 脱硫塔築造「夜景」

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 脱硫塔の築造風景

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 脱硫塔の築造風景写真

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 赤倉製錬所

足尾銅山と写真師 小野崎一徳  赤倉製錬所

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 本山地区全景

足尾銅山と写真師 小野崎一徳  本山地区全景

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 抗口

足尾銅山と写真師 小野崎一徳  抗口

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 撰鉱所内部

足尾銅山と写真師 小野崎一徳  撰鉱所内部

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 足尾銅山を訪れた田中正造

足尾銅山と写真師 小野崎一徳  足尾銅山を訪れた田中正造

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳 私立足尾銅山小学校

足尾銅山と写真師 小野崎一徳  私立足尾銅山小学校

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足尾銅山と写真師 小野崎一徳

足尾銅山と写真師 小野崎一徳 

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2007年11月10日

足尾の舟石線を走りました。NO.1本山抗跡周辺

足尾の舟石線を走りました。NO.1 本山抗跡周辺

国道122号線を間藤方面に曲がり、古河橋を左折すると舟石線(舟石峠)である。舟石線は足尾銅山の本山鉱から国民宿舎「かじか荘」までをつなぐ道で約6㎞の林道です。

足尾銅山の本山坑方面から国民宿舎「かじか荘」へ向かいました。

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足尾の舟石線を走りました。NO.2本山抗跡周辺 パイプ

足尾の舟石線を走りました。NO.2本山抗跡周辺  パイプ

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足尾の舟石線を走りました。NO3 本山抗跡周辺 電線

足尾の舟石線を走りました。NO3 本山抗跡周辺 電線

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2007年11月11日

足尾の舟石線を走りました。NO.5 本山鉱山神社

足尾の舟石線を走りました。NO.5 本山鉱山神社

本山の山腹にあり、明22年に抗長(古河鉱業株式会社足尾鉱業所長)木村長七以下、本山抗に働く鉱員達の寄進により造営されたもので、足尾銅山の山神社としては、最古のものである。鉱山神社はふつう山神社といわれ大山祗命、金山彦命、金山姫命の三神を祀るってある。昔は本山抗のかたわらに小祠としてあったものを、ここに新たに神社を建設して移したもので、本殿は流れ造りである。

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足尾の舟石線を走りました。NO.6 閉山直前の本山の様子

足尾の舟石線を走りました。NO.6 閉山直前の本山の様子

本山は、、本山抗・鷹の巣抗の開抗につづき、明治17年〔1884〕に有木抗(本山抗)が開発されると同時に、鉱業所・選鉱所・精錬所・医局などの施設がおかれ、その後火力発電所や本山小学校の前身となる学校が設けられたりして、名実ともに足尾銅山の中心として大きく発展し、足尾は日本一の銅山になったのです。明治40年に、本山の労働争議をきっかに、鉱業所が掛水へ移りましたが、本山は北部地域最大の集落に形成されました。しかし、昭和48年(1973)2月28日に、足尾銅山が閉山となり、本山には、そのとき138世帯477人(10年前の昭和38年4月には、290世帯1167人)が住んでいましたが、その年の8月に遂に無人となりました。今は、鉱山神社がぽつりと、”つわものどもの夢の跡”を見守っているだけとなりました。

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足尾の舟石線を走りました。NO.7 現在の本山抗

足尾の舟石線を走りました。NO.7 現在の本山抗

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2007年11月12日

足尾の舟石線を走りました。NO.8 狸堀り跡

足尾の舟石線を走りました。NO.8 狸堀り跡

江戸時代の鉱脈の掘り方は、自分だけが入れる狸穴に似た狸堀りであった。足尾銅山でも対岸の沢沿いに多く見られる。

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足尾の舟石線を走りました。NO.9 峠前の景色

足尾の舟石線を走りました。NO.9 峠前の景色

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足尾の舟石線を走りました。NO.9 石積みの水路では?

足尾の舟石線を走りました。NO.9 石積みの水路ではかと思います。

かなりの急斜面、水路だとしても滝のような勢いで流れそうです。「後日調査します。」

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足尾の舟石線を走りました。NO.10 鷹の巣抗

足尾の舟石線を走りました。NO.10 鷹の巣抗「対岸の中腹にあった古河の最初の直営抗」

足尾銅山は、明治10年(1877)に古河市兵衛が経営するまでは、下稼人(山師)の請負で採掘していた。当時38人の下稼人が70余の坑道を稼動させていたが、市兵衛は古河の直営抗を進め、同13年に休止していた鷹の巣抗の開発に着手し、草倉銅山(新潟)から精鋭の抗夫を投入するとともに、採掘方法に発破を採用し直利(富鉱)を発見、更に新らしい技術と設備を次々に導入し、足尾銅山の拠点となる主抗の開発に成功し日本一の銅山となっていった。

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対岸の中腹を撮影しました。

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足尾の舟石線を走りました。NO.11 峠の景色「熊笹」

足尾の舟石線を走りました。NO.11 峠の景色「くま笹」

くま笹と木々の景色が印象的でした。

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足尾の舟石線を走りました。NO.12 舟石

足尾の舟石線を走りました。NO.12 舟石

舟石には、明治のはじめ数戸の家が、農業を営み生活をしていました。当時は、この地を岩魚が多くとれたので「魚の沢」とよんでいましたが、足尾銅山を開発した古河市兵衛が、明治30年代この地をおとずれたとき、この舟の形した石を見て「舟石といったらどうか」といわれたことから「舟石」の地名がついたということです。舟石の最も栄えたのは、大正7年(1918)のころで47戸の家が点在していましたが、徐々に少なくなり、昭和29年には、全く住む人がいなくなってしまいました。往時を物語る石碑が、今も山の上に残されています。

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足尾の舟石線を走りました。NO.13 中国人殉難烈士慰霊塔

足尾の舟石線を走りました。NO.13 中国人殉難烈士慰霊塔

太平洋戦争の末期、中国から強制連行されて来た257名が、足尾銅山の労働に従事し109名が殉難された。

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足尾の舟石線を走りました。NO.14 銀山平キャンプ場

足尾の舟石線を走りました。NO.14 銀山平キャンプ場「枯葉の絨毯」

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足尾の舟石線を走りました。NO.15 1610銅山発見 治部と内蔵

足尾の舟石線を走りました。NO.15 1610銅山発見 治部と内蔵

備前楯山(1273m)は、足尾町の中央に位置する山で、かつての足尾銅山採鉱の主要地域として有名です。慶長15年(1610年)、備前国出身で当時の足尾郷の農民であった治部(じふ)と内蔵(くら)がこの山で露頭している銅鉱石を発見し、日光座禅院座主に報告しました。座主は2人の功績を記念して、この山を農民の生まれた国の名前をとって「備前楯」(びぜんたて)と名付けました。楯とは、銅鉱石の露頭のことです。

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2007年11月13日

庚申山の梵天岩

庚申山の梵天岩(ぼんてんいわ)、紅葉の名所でもある。

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2007年11月14日

足尾銅山で造られた足字銭鋳造枚数の間違い

足尾銅山で造られた足字銭鋳造枚数の間違い

「足字銭」の正確な名称は、「足尾銭」と称されている。寛永通宝の一文銭の背面に「足」の字が掘られていることから通称「足字銭」と称された。

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「五年間で2千万枚鋳造」と書物や文章に残っているが、2006年3月3日足尾町教育委員会・足尾町文化財調査委員会が発行した「足尾銅山の産業遺産」では、およそ2億1千万枚余りと改められている。

最後に「流通枚数の多さからして古銭の収集家からすれば、足字銭の希少価値は、低い方である。しかし足尾として、足尾銅山としての歴史の中での独自の文化遺産であることを銘記したい。」とあり、さらに「誰しも足尾縁の人達であれば、足字銭という小片を手にしたとき、郷土の先人達の命をかけた魂に思いを馳せることであろう。」と括っている。

2007年11月15日

古河足尾銅山写真帖 が国立国会図書間「近代デジタルライブラリー」で閲覧

明治28年に発表された小野崎一徳の『古河足尾銅山写真帖』(ブログで紹介した)がIT上の、国立国会図書間「近代デジタルライブラリー」で閲覧ができます。小野崎一徳『古河足尾銅山写真帖』是非ご覧下さい。

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タイトル:古河足尾銅山写真帖

責任表示:小野崎一徳編

出版事項:足尾町(栃木県):小野崎一徳,明28.7

形態:図版70枚;11×15cm

著者標目:小野崎,一徳(1861-1929)

西暦年:1895

 

 

自熔製煉法の構造

自熔製煉法の構造

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円筒形の鉱石反応室の下に反射炉をおいた構造で、微粒子の乾燥精鉱を約600℃の熱風で浮かし炉頂より高熱の反応室に吹き込み、溶鉱炉の数千倍の反応速度で鉱石中の硫黄分および鉄分が酸化し、その酸化熱で炉内は約1300℃の高温になり数秒間で銅分は焙焼と熔煉をほとんど同時に完了する。精鉱は雨滴の状態で反射炉部に落下し、ここで、鈹「かわ」(銅などの重金属を含む硫下鉱を製煉するときにできる中間生成物で熔鉱炉で融解すると底に沈む不純な硫化物:大辞泉)鍰「からみ」(金属の精煉に際して金属から分離して浮かぶ滓:大辞泉)とガスにわかれ、この高温の排ガスの熱を炉外の熱交換機で熱風として回収し、再び自熔炉に熱を送り返す、こうして無燃料操業を行なうのみならず、さらに余熱を発電等にも利用できる。また、金・銀・鉛・錫・蒼鉛・砒素の副製品の回収も可能である。溶鉱炉とは、全く異質な設備である事が理解できる。自熔製煉法の成功は足尾銅山のみならず日本の鉱業界にとっても画期的な製煉法であり、この技術に古河の卓越した技術力をもって、更に改良が加えられた自熔炉で、古河式(足尾式)自熔製煉法と注目され、後にその実績が国内外において高く評価された。

2006年3月3日足尾町教育委員会・足尾町文化財調査委員会 発行 「足尾銅山の産業遺産」より

 

 

北海道佐呂間町と足尾銅山の関係

北海道佐呂間町と足尾銅山の関係

・明治34年(1901)足尾鉱毒問題を田中正造が天皇直訴事件。

・明治37年(1904)鉱毒問題対策の渡良瀬遊水地構想(洪水防止対策で国費で実施)。

・明治40年(1907)谷中村遊水地化に土地収用法の適用。 谷中堤内残留民家屋16戸を強制破壊。

・明治44年(1911)谷中村民16戸137人、北海道サロマベツ原野に移住。

・昭和12年(1937)北海道移住した旧谷中村民、帰郷請願書を栃木県知事に提出。

『佐呂間町字栃木のルーツは、栃木県旧谷中村』である。

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2007年11月16日

小滝小学校跡の台座の上は、二宮金次郎の銅像と判明

小滝小学校跡の台座の上は、二宮金次郎の銅像と判明

小滝小学校・第3中学校跡でUPしました7枚目、台座の画像の上部が二宮金次郎の銅像であった事が分かりました。小滝小学校卒業された方に確認を取りました。戦前、国民の「向学心の象徴」として各地に建てられていた金次郎の銅像は戦時中、皮肉にも鉄砲の弾やゼロ戦の部品にその姿を変え「報国」を果たそうです。

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二宮尊徳

「天保の大飢饉が起こった時、小田原藩主は無一文から家を興し有名になっていた農民金次郎を抜擢し、飢えで苦しむ領民の救助に当たらせた。金次郎は、規則に縛られる役人たちや財産を失うことを恐れる豪農層と対立しながら瀕死の困窮民の支援に奮闘。小田原領の貧民四万人を一人の餓死者もなく救うことに成功した」のであります。
金次郎はその後、至誠・勤労・分度・推譲の「報徳精神」を愛情深く説いて回り、多くの村々を極貧や飢餓から復興させました。その数は全国で600にも上るといわれています。

足尾と二宮尊徳「日光神領復興仕法」

足尾と二宮尊徳「日光神領復興仕法」

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嘉永6年(1853) 幕府より日光神領復興仕法着手の下命。

同年6月29日、真岡東郷陣屋を出発し日光へ向かう事となる。

足尾への神領廻村

同年8月13日 古峰ヶ原を出発し足尾の向かったが雨天悪路のため変更して草久村の蕗平と河原小屋を視察、両地区を合わせて8人の貧窮者に資金を給与し、古峰ヶ原に戻って神官宅に止泊。

同年8月14日 古峰ヶ原を出発し、峠を越えて足尾の赤沢村に着、村役人宅泊。銅山役員から銅山案内の申し込みをうけ、貧窮者1名に資金を給与づる。

同年8月15日 赤沢・新梨子村・仲居村・遠下村・原村・唐風呂村を見分。遠下村で妙見神社参拝 銅山坑内視察 銅山 銅山権限前の川原石が鉱毒で鉱毒で赤錆色になってのお見る。赤沢村泊

同年8月16日 赤沢村発 掛水・間藤駅・赤倉村・九蔵村・松木村・仁田元村・高木木村を見分 村々の貧窮者に資金給与 神子内村名主宅泊。

同年8月17日 神子内村で精励農民に褒美金を支給し、峠を越えて細尾村着  細尾村の植林精励に賞与金を与え、清滝村で新掘開削について村役人と話し合う。清滝観音に参詣して夕刻日光着 奉行所へ帰着報告をする。

日光市文化協会今市支部ふるさと部編より抜粋


在りし日の小滝小学校全景

在りし日の小滝小学校全景

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小滝小学校・第3中学校 跡 7枚目の画像「台座」と、小滝小学校跡の台座の上は、二宮金次郎の銅像と判明

確かに金次郎の銅像と確認できますか!

 

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小滝小学校跡で紹介しました階段が確認できます。

画像は、足尾町教育委員会・足尾町文化財調査委員会 発行 「足尾銅山の産業遺産」より

明治30年まで稼動していた小滝製煉所

明治30年まで稼動していた小滝製煉所

小滝の里の正面に足尾銅山の小滝製錬所・選鉱所 跡があります。
小滝抗が開抗され、この地に製錬所(明治30年廃止)・選鉱所(大正9年廃止)が設けられた。

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画像は、足尾町教育委員会・足尾町文化財調査委員会 発行 「足尾銅山の産業遺産」より

愛宕下社宅の消毒作業

愛宕下社宅の消毒作業

昭和27年(1952)の愛宕下社宅の生活感のある画像を見つけました。

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目で見る足尾の百年 代5集より

 

足尾銅山の歴史

 足尾町は、まわりを大小の山々に囲まれた谷間の町です。銅が発見されるまでは、人里はなれたひっそりとした山村でした。
 こんな山の中にも、数千年前の縄文時代のころから人々が住みついていたそうです。時が流れて慶長15(1610)年、備前楯山で二人の男によって銅が発見されたと言われています。その後、江戸幕府直営の鉱山として大いに栄え、“足尾千軒”といわれる程、人家も建ちならびました。そして、足尾でとれた銅は日本中で使われたほか、遠く外国へも送られました。
 東照宮や江戸城、芝の増上寺、上野の寛永寺の屋根に使われたり、寛永通宝(足字銭)というお金にもなり、約2億枚が製造されました。
 しかし、しだいに銅があまりでなくなり、廃山のようになってしまいました。
 明治10(1877)年になって「古河市兵衛」が経営するようになりました。そして当時日本の鉱山としてはいちばん新しい技術や設備をとり入れたので、銅山は急速に発展し、我が国の産銅の約半分近くを生産し東洋一の銅山とよばれるようになりました。
 大正5(1916)年には人口も、38、428人に達し、県内では宇都宮市(5万8千余人)に次ぐにぎわいを見せました。
 しかし、戦争のために無計画に掘り出した結果、その後銅を思うように生産できなくなりました。
 そしてついに、400年近くも続いた「足尾銅山」も昭和48(1973)年2月に様々な大きな歴史を残して閉山となりました。

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足尾製錬所全景

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さく岩機で岩に穴を開ける様子

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 第一松木橋梁

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク (東京出版 成瀬輝男編)では、百選より足尾から三橋が選ばれている。

・第一松木橋梁(イギリス製) ・古河橋(ドイツ製) ・第二渡良瀬橋梁(国産/ピントラス橋)

この他にも古典橋梁が沢山あるので紹介する。

・仁田元水道橋 ・本山小学校跨線橋(こせんきょう) ・向間藤浄水橋 ・田元橋 ・旧小滝(抗口)橋 など貴重であり永久に保存されるべきである。

第一松木橋梁

大正3年(1914)8月26日開通 橋長56.45m 田元の北詰に架かる橋梁で形式は上路式プレートガーター(支間長22.25m×2連 9.601m×1連)で構成されている。橋桁は、明治44年(1911)に汽車製造合資会社が制作したものである。この橋梁の特異性はプレートガーターを支える二基の橋脚にあり、残存事例のない珍品であると言われている。「パテント・シャフト・アンド・アクスルトリー社」1888年の製造したものである銘板が付いてる。

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鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 古河橋

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク (東京出版 成瀬輝男編)では、百選より三橋が選ばれている。

・第一松木橋梁(イギリス製) ・古河橋(ドイツ製) ・第二渡良瀬橋梁(国産/ピントラス橋)

この他にも古典橋梁が沢山あるので紹介する。

・仁田元水道橋 ・本山小学校跨線橋(こせんきょう) ・向間藤浄水橋 ・田元橋 ・旧小滝(抗口)橋 など貴重であり永久に保存されるべきである。

古河橋「明治23年(1890)ドイツ・ハーコート社製」

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鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 第二渡良瀬橋梁

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク (東京出版 成瀬輝男編)では、百選より三橋が選ばれている。

・第一松木橋梁(イギリス製) ・古河橋(ドイツ製) ・第二渡良瀬橋梁(国産/ピントラス橋)

この他にも古典橋梁が沢山あるので紹介する。

・仁田元水道橋 ・本山小学校跨線橋(こせんきょう) ・向間藤浄水橋 ・田元橋 ・旧小滝(抗口)橋 など貴重であり永久に保存されるべきである。

第二渡良瀬橋梁

大正元年(1912)12月13日開通 橋長104.85m 切幹のところで渡良瀬川に架かる橋梁で、形式はアメリカのクーパー形プラットトラス(ピン結合 支間長46.93m×2連)と旧国道を跨いでいたガードのプレートガーター(支間長6.601m×1連)からなるで構成である。ただし、平成14年(2002)8月にプレートガーター部が外されコンクリートでボックスカルバートに改造されたことは惜しまれる。 (鉄の橋百選・鉄道ピクトリアル中川浩一 引用)

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鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 仁田元水道橋

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク (東京出版 成瀬輝男編)では、百選より三橋が選ばれている。

・第一松木橋梁(イギリス製) ・古河橋(ドイツ製) ・第二渡良瀬橋梁(国産/ピントラス橋)

この他にも古典橋梁が沢山あるので紹介する。

・仁田元水道橋 ・本山小学校跨線橋(こせんきょう) ・向間藤浄水橋 ・田元橋 ・旧小滝(抗口)橋 など貴重であり永久に保存されるべきである。

仁田元水道橋

足尾砂防ダム堰提から西に見える橋は、人や自動車が渡る橋ではなく、製煉所などで使う工業用水の水道管をのせる橋です。水源を松木川に求め、現在でも重要な工業用水を送る施設として使われている。

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足尾町閉町記念「足尾博物誌」より抜粋

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 本山小学校跨線橋(こせんきょう)

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク (東京出版 成瀬輝男編)では、百選より三橋が選ばれている。

・第一松木橋梁(イギリス製) ・古河橋(ドイツ製) ・第二渡良瀬橋梁(国産/ピントラス橋)

この他にも古典橋梁が沢山あるので紹介する。

・仁田元水道橋 ・本山小学校跨線橋(こせんきょう) ・向間藤浄水橋 ・田元橋 ・旧小滝(抗口)橋 など貴重であり永久に保存されるべきである。

本山小学校跨線橋(こせんきょう)

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鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 旧小滝(抗口)橋

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク (東京出版 成瀬輝男編)では、百選より三橋が選ばれている。

・第一松木橋梁(イギリス製) ・古河橋(ドイツ製) ・第二渡良瀬橋梁(国産/ピントラス橋)

この他にも古典橋梁が沢山あるので紹介する。

・仁田元水道橋 ・本山小学校跨線橋(こせんきょう) ・向間藤浄水橋 ・田元橋 ・旧小滝(抗口)橋 など貴重であり永久に保存されるべきである。

旧小滝(抗口)橋

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鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 田元橋

鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク (東京出版 成瀬輝男編)では、百選より三橋が選ばれている。

・第一松木橋梁(イギリス製) ・古河橋(ドイツ製) ・第二渡良瀬橋梁(国産/ピントラス橋)

この他にも古典橋梁が沢山あるので紹介する。

・仁田元水道橋 ・本山小学校跨線橋(こせんきょう) ・向間藤浄水橋 ・田元橋 ・旧小滝(抗口)橋 など貴重であり永久に保存されるべきである。

田元橋

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2007年11月17日

小滝会「足尾銅山の誇り今も絶やさず」 下野新聞11月16日掲載

小滝会「足尾銅山の誇り今も絶やさず」 下野新聞11月16日掲載

"みんな足尾を愛してる・・・・”

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拡大しました。

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足尾銅山跡 国史跡指定 下野新聞11月17日掲載

足尾銅山跡 国史跡指定 下野新聞11月17日掲載

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2007年11月18日

渡良瀬

渡良瀬

「渡良瀬」の地名の起こりは、今から1200年余前に日光を開山した勝道上人が修験の途次に、この郷に入り命名したと伝えられている由緒のある地名で渡良瀬川の起点ともなった。渡良瀬には、延命7年(788)宝増時が建立されたが、明治の初めまで新梨子村の農耕地として、静かな佇まいのまかに農家が2~3戸点在しているにすぎなっかた。明治10年(1877)になり足尾銅山は古河市兵衛の経営するところとなり、にわかに足尾全山の開発が進められ、渡良瀬は、足尾銅山運営の物資の供給基地となっていった。

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足尾町教育委員会・足尾町文化財調査委員会 発行 「足尾銅山の産業遺産」より

 

保存された渡良瀬橋

保存された渡良瀬橋

馬車鉄道が走る渡良瀬橋の架設年度は不明であ。現時点では、大正4年(1915)に足尾銅山の橋をまとめた青図集の中に収まっているので、それ以降である。

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馬車鉄道が走る渡良瀬橋は、「鉄橋」といえど、横桁・床版・高欄は木材であったので、昭和2年(1927)に木部材を鉄鋼に改修している。そして昭和10年(1935)に馴染の「コンクリートアーチ橋」に大改修している。改修の方法は、鋼製本体をそのまま鉄骨とし、トラスの垂直材を一本おきに取除き、鉄筋コンクリートで巻き込んだものである。こうした橋の改修方法は、極めて稀な工法である。しかし大改修70年が経過し老朽化が進み、新渡良瀬橋が旧橋に平行し架設された。平成10年の(1998)1月23日の開通と同時に旧橋に化粧直しが施された。

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旧渡良瀬橋の概要

形式:コンクリートアーチ橋

橋長:52.1m

有効幅員:5.4m

足尾町教育委員会・足尾町文化財調査委員会 発行 「足尾銅山の産業遺産」より

無用の長物であった製煉所の大煙突

無用の長物であった製煉所の大煙突

平成元年(1989)に操業停止となった製煉所を象徴するかのように孤高の大煙突が立っている。こ大煙突は溶鉱炉方式から反射炉に切り替える大正5年から着工された。反射炉の製煉処理能力は、日産350tとして、予算は当時約22万円であった。この時大煙突が建造された。同年2月から試験操業するが、大煙突の立上り付近の煙道で煙の詰まりが激しく、反射炉による熔鉱は失敗し大煙突はわずか2ヶ月程度で煙を吐かなくなった。

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足尾町教育委員会・足尾町文化財調査委員会 発行 「足尾銅山の産業遺産」より

2007年11月19日

陸奥 宗光と古河市兵衛

陸奥 宗光(むつ むねみつ)と古河市兵衛(ふるかわ いちべい) 

陸奥 宗光

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1892年頃 外務大臣時代 古河潤吉君傳より


1844年(弘化元年)紀州藩藩士伊達宗広と政子(渥美氏)の六男として生まれる。国学者・歴史家としても知られていた父の影響を強く受け尊王攘夷思想を持つようになる。父は紀州藩に仕え財政再建をなした重臣であったが、宗光が8歳のとき(1852年)藩内の権力争いにやぶれて失脚したため、一家には不遇の生活がおとずれる。

1858年(安政5年)江戸に出て、安井息軒、水本成美に学び、土佐の坂本龍馬、長州の桂小五郎、伊藤博文などの志士との出会がある。

1863年(文久3年)、勝海舟の神戸海軍操練所に入り、1867年(慶応3年)には坂本龍馬の海援隊に加わるなど始終坂本と行動をともにした。

1868年(明治元年)明治維新後は外国事務局御用係、1869年(明治2年)兵庫県知事、1872(明治5年)地租改正局長などを歴任するが、薩長藩閥政府の現状に憤激し、官を辞した。この間、1872年に蓮子夫人が亡くなり、翌1873年(明治6年)亮子と結婚している。

1877年(明治10年)の西南戦争の際、土佐立志社の林有造・大江卓らが政府転覆を謀ったが、陸奥は土佐派と連絡を取り合っていた。翌年にこのことが発覚し、除族のうえ禁錮5年の刑を受け、東北の山形と仙台に投獄された。
陸奥(毒殺をおそれ監獄の食事を取らなかった)の身を気づかい、毎日のように衣食や本の差し入れをしたのが古河市兵衛であった。この時足尾銅山の経営に成功していた市兵衛は、山形の幸生・永松などの銅山も手がけており、山形や仙台には、知己が多く毎日の差し入れが可能であった。

1883年(明治16年)出獄を許され、伊藤博文の勧めもあってヨーロッパに留学する。
この費用は、一万一千円を要したとされるが、そのうち二千五百円は市兵衛が負担している。後に実子がなった市兵衛は陸奥の次男・潤吉を養子としてもらいうけ古河家の後継者とした。

1888年、山縣有朋内閣の農商務大臣に就任。

1891年(明治24年)に足尾銅山鉱毒事件をめぐり、帝国議会で田中正造から質問主意書を受ける。

1892年第2次伊藤博文内閣に迎えられ外務大臣に就任。

1894年(明治27年)イギリスとの間に日英通商航海条約を締結。 幕末以来の不平等条約である治外法権の撤廃に成功する 。 同年8月、子爵を叙爵する。

1897年(明治30年)824日、肺結核のため西ヶ原の本邸(旧古川庭園)にて死去[。享年54

参考文献:「足尾銅山物語」著者 小野崎敏より

昭和11年(1936)開通式当日の田元橋

昭和11年(1936)開通式当日の田元橋の写真です。

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目で見る足尾の百年 第5集より

大正15年8月からガソリンカー

ガソリンカー

大正15年(昭和元年)8月から定時馬車に代わってガソリンカーが町内を走る事になった。乗車人数は、14~15人が定員、1日に赤沢~小滝間を5往復、客車は3t、長さ5m、幅2m、軌道幅は70cm、機関車は、当時のアメリカフォードエンジンを使っていた。時速10~15kmで、走っているガソリンカーに乗り降りができるくらいであった。

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「目で見る足尾の百年」 第5集より 写真提供 新井常雄氏

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馬車鉄道はこの年6月からガソリンカーと交代する。写真は、新梨子馬車鉄道基地(現在の中央運動公園の地)

「目で見る足尾の百年」 第5集より 写真提供 小島衣料店

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ガソリンカーを、この頃「ガソリン」と略称したり発射時間が定まっていたので「定時」とも言っていた。

2007年11月20日

昭和4年(1929) 豊潤洞移築される。

昭和4年(1929) 豊潤洞移築される。

柏木平にある豊潤洞は、もと明治の元勲、陸奥宗光の大磯にあった別荘で、宗光の次男潤吉が古河家の養子となった関係から大磯より足尾に移されたものである。内部は17畳、13畳の広間をはじめとして大小12室90畳の広さである。氏が下関条約の草文を書いた部屋が有名。

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「目で見る足尾の百年」 第5集より

昭和5年(1930) 足尾にはじめてタクシー会社が開業

昭和5年(1930) 足尾にはじめてタクシー会社が開業

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「目で見る足尾の百年」 第5集より

昭和29年(1954) 関東バス 足尾~宇都宮運行

昭和29年(1954) 関東バス 足尾~宇都宮運行

(昭和46年7月1日運休となる)

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通洞駅前の車庫

「目で見る足尾の百年」 第5集より

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 表紙

世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書が日光市のHPよりダウンロードできます。

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表紙は自作/内容は日光市HPより

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P1

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書

(1)   提案のコンセプト

①資産名称「足尾銅山―日本の近代化・産業化と公害対策の起点―」

概要

明治政府は欧米諸国で実用化された先進技術を導入し、極めて短期間で産業化を達成した。

明治初期の殖産興業政策により、はじめ官栄事業によって移植された工業技術は、明治20年前後に進められた民間への払い下げによって民営企業にひきつがれ、そこで在来の技術と融合し合い、状況に応じた巧緻な改良を加えることにより産業化は加速された。しかし、足尾銅山の場合は、官営時代がなく、近代当初から古河家による民営銅山として出発し、技術導入も古河の手によって進められた点が特徴である。

明治10(1877)足尾銅山を買収した古河市兵衛は、探鉱~採鉱~選鉱~製錬に至る各工程とその輸送方法に最新技術を積極的に導入した。早くも明治23(1890)には、水力発電所を建設しこれらの工程を電化するとともに、やがて電気精銅までの一貫した銅生産システムを確立する。これにより足尾は、東洋一の生産量を誇る銅山へと成長した。

19世紀末の世界的な電気産業の拡大に伴う銅需要の急増に呼応し、銅産量を増やしていった日本は、20世紀初頭には世界第3位の産銅国となる。しかし。その過程で全国の銅山では精錬で発生する亜硫酸ガスと鉱山廃水による環境への影響が次第に顕在化していった。

狭フな山間部で、かつ長大な流域面積を有する河川の最上流部に位置する足尾銅山の立地は、他の銅山に比べ被害をより深刻なものとした。明治24(1891)、発足間もない帝国会議で衆議院議員の田中正造の追求を契機に鉱害問題は広く知られるところとなり、やがて大きな社会問題へと発展した。事態を重く見た政府は日本の鉱業の存亡をかけ、明治29(1896)日本発の「予防工事命令」を発令し、以後徹底した対策を古河に命じた。

古河もこれに応え、厳重な工期のなか浄水場、廃石鍰の推積場、脱硫塔の建設を完工した。

これにより廃水対策は一定の成果をみるが、脱硫塔での煙害対策は、不十分であった。その後、大正4(1915)に希釈法、同7(1918)に電気集塵法といった当時最新の技術による対策を講じ排煙中の有害物質の除去に努めたが、亜硫酸ガスの完全回収が成功したのは、フィンランドのオートクンプ社が開発した技術を基に、昭和31(1956)に世界で初めて実用化に成功した「自熔製錬法」とそれに伴う脱硫技術によってであった。その後、古河が独自の改良を加えて完成させたこの技術は、現在世界各国で導入され活動中である。

このように明治以降の足尾銅山の歴史は、日本の急速な産業化の歴史の反映であると同時に、日本で初めて社会問題化した鉱害とその対策でもあり、それは同時期の先進諸国に共通する大きな課題への挑戦でもあった。

足尾銅山は昭和48(1973)に閉山し、やがて銅生産の歴史も幕を閉じたが、坑内廃水の浄水処理は現在も予防工事命令により建設された施設を改良しつつ続けられている。また、工事命令後始められた煙害地の植林も自熔炉導入後に本格化し、国・県・古河のみならず今日では多くのボランティアが参加し、徐々に緑は回復しつつある。

足尾銅山の建造物群は単なる近代産業の記念物ではない。鉱害反対運動の中軸となった渡良瀬川下流域の遺跡等ともに、その景観は20世紀の縮図であり、我々人類が21世紀になすべきことを示している現在進行形の遺産なのである。

                        P1

日光市HPより

 

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P2

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P2

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日光市HPより

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P3

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P3

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日光市HPより

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P4

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P4

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日光市HPより

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P5

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P5

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日光市HPより

 

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P6

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P6

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日光市HPより

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P7

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P7

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日光市HPより

 

 

 

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P8

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P8

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日光市HPより

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P9

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P9

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足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P10

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P10

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足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P11

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P11

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日光市HPより

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P12

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P12

3)保管管理計画

①個別構成要素に係る保存管理計画策定に向けての検討状況

 足尾銅山には、銅の採鉱~選鉱~製錬の過程を示す遺構、及び、運送・交通、動力供給、環境対策、生活、教育等、銅山の経営に係る多岐にわたる施設が多く遺存している。

 これらのうち、銅山の基幹坑道のひとつである「通洞抗」と、近代鉱山の採鉱技術に多大な影響を与えたダイナマイトの保管庫である「宇都野火薬庫跡」について「足尾銅山跡」として国指定史跡の申請中である。足尾銅山の産業遺産については、現在、総合的調査を継続中であり、その結果に基づき、銅山の価値を示す必須の遺構について追加指定を行い、「足尾銅山跡」として一体的に保全する「足尾銅山跡保存管理計画」を策定し。全体的な保護を図っていく予定である。

 

②資産全体の包括的な保存管理計画策定に向けての検討状況

足尾銅山は文化庁による、「採掘・製造、流通・往来及び住居に関連する文化的景観の保護に関する調査研究」の重要地域に選択されており、今後、さらに調査を重ねる予定である。この調査に基づき、重要文化的景観の選定を視野にいれた検討の中で、資産全体の包括的な保存管理計画を策定していく予定。

 

     産業と一体をなす周辺環境の範囲、それに係る保全措置に関する検討状況

資産の緩衝地帯は、「森林法」にもとづく保安林、「砂防法」にもとづく茶房指定地、「河川法」の河川区域を基本として設定する。これらに該当しない市街地については、日光市景観計画により保全措置を講ずることを検討していく。

 

足尾地区における緩衝地帯は以下の3地区に大別し検討する。

ⅰ 足尾銅山の主要な構成資産は、銅山(備前楯山)の周囲、渡良瀬川と庚申川沿いに展開している。製錬所が存在する本材地区を北端に、両河川に挟まれた範囲を足尾銅山の中心域と位置づけ、その範囲を緩衝地帯として保全措置を検討する。

 特に、市街地については、日光市景観計画において、足尾銅山の文化的景観の保全措置を講ずることとする。

 

ⅱ 松木渓谷の一部には、関係機関の協議により積極的に植林を行なうことなく、経過を観測する「観測監視区域」が設定され、急速な開発と煙害とによって荒廃した自然景観がそのままの状態で遺存している。

この景観を保全するために、「観測監視区域」の周囲に緩衝地帯を設定することを検討する。

 

ⅲ 上記の2地区の間の、松木沢、仁田元沢、久蔵沢の合流点周囲には、松木推積場、旧松木村等が所在する。この一体は重要文化的景観による保全を図り、さらにその周囲に緩衝地帯を設定することとする。

 

なお、足尾地区以外の地域における保全措置については、今後関係機関と協議のうえ検討

していきたい。

日光市HPより

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P13

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P13

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日光市HPより

 

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P14

足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 P14

4)世界遺産登録への該当性

 

①資産の適用種別及び世界文化遺産の登録基準番号

     資産の適用種別 産業遺産・文化的景観

     世界文化遺産の登録基準番号 ⅱ、ⅳ

ⅱ)足尾銅山を構成する建造物群は、従来の技術と欧米の先進技術を融合させることにより、日本を世界でも有数な銅産国へと成長させた総合的な銅産システムであると同時に、国内外の公害対策に大きな影響を与えた建造物であり、高い技術的・交流的価値を有している。

ⅳ)19世紀後半からの100年間は、先進国において公害が社会問題化した時代である。

  足尾銅山及びその周囲には、急速な開発と煙害とによって荒廃した自然と、公害防除技術の歴史を示す記念碑的建造物群が遺存しており、この時期を象徴する技術と景観の顕著な見本となっている。それは現代の我々になすべきことを示している、生きた景観である。

 

②真実性、完全性の証明

 足尾銅山を構成する資産は、採石・選鉱・製錬・精銅といった産銅に直接係る施設はもとより輸送・エネ  ルギー供給・経営・生活といった鉱山都市機能が、ほぼ完全に遺存している。これらは、基本的に施設の所有者が当初の目的の為に建設したものがそのまま残されている。その一部は現在も稼動し、部分的に改修が加えられているものも存在するが、大きく用途が変更されたものはなく、真実性及び完全性は損なわれていない。

 

③類似遺産との比較

 鉱業関係の遺産は、「レーロース」(ノルウェー)、「ポトシ市街」(ボリビア)、「ランメルスベルグ鉱山と古都ゴスラー」(ドイツ)、「石見銀山遺跡とその文化的景観」(日本)等多数登録されており、うち、1920世紀の遺産としては、「ブレナヴォンの産業景観」(イギリス)、「ファールンにある大銅山の鉱業地域」(スウェーデン)、「エッセン関税同盟炭鉱の産業遺跡「(ドイツ)、「コーンウォールと西デボンの鉱山景観」(イギリス)などが挙げられる。これは主に産業革命が各地に伝播する過程において、鉱業に関連する建造物群の洋式および景観上の価値を評価したものであるが、鉱業の発達とそれに伴う環境破壊、およびその対策の経緯といった視点で評価されたものはなく、足尾銅山は極めて稀な事例である。

 

日光市HPより

 

社宅とくらし

 銅山の全盛期には、本山(ほんざん)、高原木(こうばらぎ)、久蔵(くぞう)、愛宕下(あいごした)、赤倉、深沢、南橋(なんきょう)、上間藤(かみまとう)、上の平、芝の沢、渡良瀬(わたらせ)、掛水、向原(むかいはら)、通洞(つうどう)、砂畑、中才(なかさい)、遠下(とおじも)、小滝(こたき)方面など町中のほとんどに社宅がぎっしりと建ち並び、鉱山のまち特有の景観をかもしだしていました。閉山とともにこの社宅もめっきり少なくなりましたが、現在でも一部が使用されています。社宅は全部が長屋形式で4戸とか6戸とかがつながっていました。屋根はトタンで水道やトイレ、浴場などは共同の場合が多く、近隣同士の交流は他では見られない深いきずなで結ばれていました。社宅のそばには、集会所、広場、道場、矢場、テニスコートやプールなどが備えられていました。そのほか火災の時の延焼を防ぐため、会社が考案して造った煉瓦を防火壁として使用していました。この煉瓦は からみ(鉱石を溶かすときにでるカス)を利用した黒い色をした珍しいものです。現在でも社宅あとに残っているのでみることができます。
 そのほか、足尾の特徴としては明治時代に創立されたと言われる購買組合(現在では生活協同組合)形式の “三養会(さんようかい)” とよばれる売店を社宅の周辺に幾つも出して、品物を安く売る仕組みをつくってきました。この三養会は現在でも数店残り、利用されています。


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銅山全盛期の通洞社宅/火災から住宅を守る防火壁

日本で初めて煙害を止めた製錬所

 足尾製錬所は明治17(1884)年に現在の地に「直利橋(なおりばし)分工場」としてはじまり、明治26(1893)年からは「ベッセマー式転炉」により大量の鉱石を短期間で製錬できるようになりましたが、亜硫酸ガスも増大しました。
 足尾製錬所では、亜硫酸ガスを除去しようと改良を加えてきました。
 昭和31(1956)年にはフィンランドのオートクンプ社から技術導入した自熔製錬技術と煙から副産物として硫酸を取り出す方式を確立させ、日本で初めて亜硫酸ガスを止めることができました。足尾で開発されたこの製錬技術は、日本や世界で現在も生き続ける無公害の銅製錬方式です。
 昭和48(1973)年に銅山は閉山しましたが、製錬所は輸入した鉱石を製錬してきました。平成元(1989)年、足尾線廃止により貨車輸送ができなくなり、製錬所は事実上操業を停止しました。

※鉱石から目的の金属を取り出すことを「製錬」といいます。鉱石を溶かし銅を取り出そうとするときに、鉱石の中の硫黄分が亜硫酸ガスとなり、放出されます。この亜硫酸ガスが山の草木を枯らしてしまう有害がスとなるのです。


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硫酸の貯蔵タンク

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製錬所の4本煙突

足尾の文化財

 足尾町には、銅山のおもかげを残すものが、町のあちこちに沢山あります。
その中でも特に歴史的や文化的に価値があると思われるものを、町の貴重な文化財として保護しています。
 数ある中のおもなものをあげてみます。
◆町指定の文化財として
①代官所(陣屋)跡(役場そば)
②日本初期の水力発電所跡(上間藤)
③庚申山碑(国道より庚申山への入口)
④本山抗口(本山)
⑤小滝抗口(小滝)
⑥古河橋(明治23年にかけられた道路鉄橋)(赤倉)
⑦鋳銭座(ちゅうぜんざ)跡(足字銭を鋳た所)(赤沢)
⑧本山の鉱山神社本殿(本山)
◆このほかの文化財的なものとして
・鉄索用随道(ずいどう)(小滝)
・渡良瀬橋(渡良瀬)
・古河掛水倶楽部(掛水)
・馬車鉄道跡(神子内、原方面)
・松木村無縁塔(赤倉龍蔵寺)

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馬車鉄道橋台(神子内)

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鉄索用隧道を掘った象山

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間藤水力発電所跡の鉄管

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古河橋

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庚申山碑

足尾の神社やお寺とキリスト教会

 足尾は古くから開けたので、由緒ある神社やお寺などが、小さい町の割には沢山あります。遠下にある磐裂(いわさく)神社(大同3(808)年建立)は足尾の鎮守様でむかしはここが庚申山登拝口となっていました。いまでも当時の面影を偲ぶことができます。
 本山の一番高いところに銅山を守る神を祀った鉱山神社(明治22(1889)年建立)があります。銅山観光のそばにも鉱山神社(大正9(1920)年建立)があります。これらの神社は “山神社(さんじんじゃ)”と呼ばれ、銅山が盛んな頃は毎年春には “山神祭” が盛大に行なわれ、関東一のお祭りといわれる程のにぎわいをみせました。規模は小さくなりましたが、現在も “足尾まつり” として残っています。
 お寺は町の北の方から龍蔵寺、宝増寺、呑龍寺、本妙寺、蓮慶寺、専念寺などがあります。龍蔵寺には、煙害による公害第1号で姿を消した松木村の先祖の無縁塔や、銅山に一生をささげた抗夫さんをとむらった“抗夫の墓”があります。
 宝増寺には勝道上人の作と伝えられる木彫の波之利大黒天が納められています。そのほか各寺には古くから伝わるものや、銅山ゆかりのものが保存されています。
 赤沢にあるキリスト教会は英国の鉱山王が世界各国でその国の最大級の鉱山地に一つ建てたといわれる由緒あるものです。


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通洞鉱山神社

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旧松木村無縁塔

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抗夫の墓

渡良瀬橋

 川下にかかっている橋が、昭和10(1935)年に鋼製橋からコンクリート橋に大改造された渡良瀬橋です。
 傷みが激しくなり、新しい橋が上流に架けられましたが、貴重な構造ということで、永久保存されています。
 当初は鉄橋でしたが、一部骨材を抜きそのままコンクリート構造に代えた珍しい橋です。
 この橋の一帯は桜の名所として足尾線沿線はもちろんのこと、遠く桐生方面まで知れ渡っており、足尾銅山全盛期の山神祭には橋の両側に色とりどりの灯りがともり、夜通しにぎわっていたとのことです。


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渡良瀬橋

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桜咲く花の渡良瀬公園

小滝と「小滝の里」碑

明治18(1885)年に小滝抗が開かれてから、一つの集落として大いに栄えた「小滝」について御紹介しましょう。この小滝は、国道沿いの切幹から銀山平の国民宿舎「かじか荘」までの一帯をいいます。この小滝は銅山の衰退とともに、昭和29(1954)年に閉山となり、たちまちにして廃墟と化しました。今ではこの地に足を運ぶと当時の面影をしのぶことができます。抗口、社宅(畑尾、新長屋、広道路、爺ヶ沢、南夜半沢、北夜半沢、二号地、銀山平など)や病院、学校、浴場、製錬所、選鉱所、浄水場、運動場などの跡が残っていて当時の人々の生活が忍ばれます。
 また、ここには戦時中に、朝鮮の人や中国の人が働いていた事を知ることができます。
 この小滝に生を受けここで生活を送った人たちは、この地を離れた後、今でもこの小滝の中央部に「小滝の里」と刻まれた碑を建てて、定期的に集まってむかしを思い旧交をあたためています。 

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国民宿舎「かじか荘」外観

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小滝の社宅跡

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選鉱所跡

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小滝の里碑

2007年11月21日

古河掛水倶楽部

 この建物は、設計者は不明ですが、英国人のジョサイヤ・コンドル氏の影響を強く受けた人の設計であるといわれており、明治32(1899)年頃に建築された和洋折衷の建物です。
 当時、古河鉱業が大切なお客様を迎え、会議や宿泊などに使用していた迎賓館でした。
 中には、国産第1号と言われるビリヤード台や、ドイツバルトール・ベルリン社、大正13(1924)年製のピアノが保存されています。
 近くには鉱石資料館や電話ミニ資料館もあります。電話機は明治9(1876)年ベルが発明、翌10(1877)年に日本へ輸入されましたが、電話機が発明された後、わずか10年後の明治19(1886)年に一企業が導入した事は驚きです。これが民間電話導入の第1号です。
 明治40(1907)年の電話帳では100回線です。
 足尾では「銅山電話」と呼び、銅山関係以外の役場や町内の各駅などにも設置されていました。

古河掛水倶楽部の見学は・・・
※営業日時  土・日・祝日 午前10時から午後3時
※連日公開  4月末~5月初めの連休中
※冬季休館  12月上旬~3月下旬
※入場料   大人300円  小・中学生200円
※連絡先   平日 0288-93-3255 土・日・祝日 0288-93-2015

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古河掛水倶楽部

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ミニ資料館に展示されている銅山電話

足尾歴史館

 平成17(2005)年4月、足尾楽迎員協会のメンバーが立ち上げました。
 足尾銅山は、過去、公害などの負の世界だけが強調され、光の部分はまったくというほど語り伝えられることがありませんでした。
 メンバーは、調査学習活動をとおして、足尾銅山が日本の近代国家づくりに大きく貢献してきた光の部分を、写真・本・資料から探し出す事ができ、この誇れる歴史を語ろう、町内に点在する貴重な産業遺産をガイドしようと、ボランティア活動を進めています。
 館内の明治、大正、昭和の写真は、全国の鉱山で足尾でしか見られない大変めずらしいものが展示されています。
 教育関係者や歴史関係者、また交通関係者、市町村関係者など足尾の地に関係ある方が多く入館されています。
 なお歴史観は、一般の博物館や資料館と異なり、「交流の場」としているのも特徴で、みんなで作ろう、みんなが参加して、より内容の濃いものにしていこうとの合言葉で「館」を運営しています。

※開館日   4月1日~11月30日(月曜休館)
※開館時間 午前10時~午後4時
※ご利用には会員券をお求め下さい。
 一日会員券 おとな一人 300円  こども一人 200円(小中学生)
 年間会員券 個人一口 2,000円  団体一口 10,000円
※連絡先   【足尾歴史館】
〒321-1523 栃木県上都賀郡足尾町松原2825
℡0288-93-0189

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足尾歴史館 外観

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館内の様子

日本一の銅山観光

 約400年間にわたり掘り開いた坑道の総延長は1,234km(およそ東京から博多間)、その深さは東京湾の深さに近いまでに達します。
 足尾銅山観光はその“日本一の鉱都”とよばれた日本最大の足尾銅山の再現をはかって始められた抗内観光です。
 全長700mの抗内を見学すると足尾銅山の歴史や内容だけではなく、鉱山のしくみもよく知る事ができます。薄暗い抗内は江戸時代の手掘りの様子から、現在の機械化されている銅山の様子まで人形を使って年代ごとに紹介されています。奥に進むにつれ、それは人形とは思えないほどの迫力を感じます。
 また、平成13年4月にはトロッコも新しく生まれ変わり、リニューアルオープンしました。そしてキャラクター“源さん”と一緒に足尾銅山の歴史を旅する探検シアターも完成しました。
 このほか、場外には、むかしのお金が造られる様子を人形を使ってあらわした「鋳銭座(ちゅうぜんざ)」や足尾銅山で実際に使われていた道具類や産出された鉱石など珍しいものがたくさん展示されている「資料室」があります。
 銅山観光ではもっとくわしく銅山の様子を知っていただくため、さらに内容を充実させようとつとめていますのでぜひ、ご期待ください。

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トロッコで坑内を案内します

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ようこそ銅山観光へ

「銅山観光」見学コースのご案内

 抗内観光へはステーションからトロッコ電車に乗って出発します。
 江戸時代から現代へ、鉱山の様子がわかりやすく展示してありますのでみなさんをきっと満足させてくれるでしょう。
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※開館時間   午前9時~午後4時30分
※入坑料    個人  大人    800円
              小・中学生 500円
          団体  大人15人以上  700円
               高校生15人以上(学校団体のみ)500円
               小・中学生15人以上   300円
※連絡先【足尾銅山観光管理事務所】
〒321-1514 栃木県上都賀郡足尾町通洞9-2
℡0288-93-3240

自然あふれる足尾町

《前日光県立自然公園》
 足尾町の東境にある薬師岳・地蔵岳・方塞山・粕尾峠はそれぞれ、日光市と鹿沼市の境界となり“日光国立公園” の南端につながる標高1000メートル台の高原です。北に日光連山、西に赤城山をはじめ両毛の山々、東・南に関東平野を一望に眺められる広々とした高原で前日光県立自然公園に指定されています。
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粕尾峠頂上にある歌碑

《日光国立公園》
 足尾町北部には昭和25(1950)年に日光国立公園に編入された庚申山(1,892m)があります。山全体が奇岩・怪石におおわれ、原始林が続き、初夏には特別天然記念物“コウシンソウ”が姿をみせ、秋には県下随一の紅葉を堪能することができます。

《名峰 皇海山》
 足尾最高峰の皇海山は標高2,143mで、日本百名山の一つでもあります。その山頂付近からは雄大に広がる関東平野、さらには富士山、尾瀬の至仏山、ひうちヶ岳なども一望でき、登山者を惹きつける魅力的な山です。

《渡良瀬川》
 皇海山を水源とする渡良瀬川は町の歴史と共に流れ続け、町民から愛され親しまれている川です。町の下流8㎞で「草木ダム」となり、さらに南下するにつれて大小いくつもの川と合流しながら茨城県の古河市の先で利根川に入ります。
 一時は足尾鉱毒事件が発生した川として大きな社会問題となりましたが、現在では、むかしのような清流にもどり、釣り人や観光客を楽しませています。
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渡良瀬川で釣りを楽しむ人々

2007年11月22日

霊峰「庚申山」

 庚申山の歴史は古く、天平神誤2(766)年に日光を開山した“勝道上人”のよって開かれたと伝えられています。
 信仰の山としても知られていますが、登拝が盛んに行なわれるようになったのは江戸時代の末期で、慶応元(1865)年には江戸の講中の参加者が3千人余りにもなり、その頃建てられた道標や石碑が数多く残っています。
 また、江戸時代の小説家 滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」に庚申山のことが書かれています。
 庚申山の中腹、標高1,500mの地点には山荘があって休憩や宿泊することができます。ここから15分ほどのところに紅葉の名所梵天岩や天下の見晴台があり、筑波山や夜には遠く犬吠埼の灯が見え、朝早くは雲海の眺めが素晴らしい所としても有名です。
 とにかく、登山愛好家の心をひきつける神秘的な山です。

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庚申山荘

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庚申山

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鶴岩

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亀岩

大正天皇陛下行幸、皇后陛下行啓の光栄

大正天皇陛下行幸、皇后陛下行啓の光栄。

「大正二年九月五日、日光田母沢御用邸に御避暑中の天皇陛下には畏くも日光製錬所へ行幸仰せだされ、工場の操業實況を御巡覽遊ばされた。」

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括りに
「民間の工場にして 兩陛下行幸啓の光榮を辱うしたのは眞に空前のことに屬するので、同月廿八日、虎之助君は麻布光林寺なる先考先代の墓前に詣で、謹んでこの慶事を奉告した。」

古川潤吉君傳 大正15年発行 著作兼発行者 五日會より

「眞に空前のことに屬する」とあるが、民間企業を御巡覽された事実に驚きました。また当時の古河の影響力にも驚かされるところです。

 

復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日

復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日

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古本屋で見つけました。

2007年11月23日

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾銅山之景

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾銅山之景

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足尾銅山之景

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日より

 

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾銅山全図 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾銅山全図

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足尾銅山全図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 細尾村鉄索器機内部の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 細尾村鉄索器機内部の図

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細尾村鉄索器機内部の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 銅鑛頂之図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 銅鑛頂之図

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銅鑛頂之図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 銅鉄索にて山谷を超えて貨物を運搬する図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 銅鉄索にて山谷を超えて貨物を運搬する図

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銅鉄索にて山谷を超えて貨物を運搬する図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 本山抗内の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 本山抗内の図

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本山抗内の図 来客抗内衣を着して採鑛を観るの図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

 

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 抗内見張所の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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抗内見張所の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 第一舊式選鑛所の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 

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第一舊式選鑛所の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 撰鑛所内部の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 撰鑛所内部の図

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撰鑛所内部の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 回轉手撰基臺の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會  

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回轉手撰基臺の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

2007年11月24日

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 泥鑛を壓搾して煉亙形に作るの図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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泥鑛を壓搾して煉亙形に作るの図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 沈澱銅を似搏丸と為すの図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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沈澱銅を似搏丸と為すの図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 廻轉鑄型臺之図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 

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廻轉鑄型臺之図

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廻轉鑄型臺之図 2.jpg

復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

 

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 工作課鍜工場内の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 工作課鍜工場内の図

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工作課鍜工場内の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 大通洞の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 

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大通洞の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 簣子橋金山神社狛犬の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 簣子橋金山神社狛犬の図

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簣子橋金山神社狛犬の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾町字間藤の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾町字間藤の図

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足尾町字間藤の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 輕便捲下斜面鐡道の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 輕便捲下斜面鐡道の図

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輕便捲下斜面鐡道の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 電話交換所の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 

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電話交換所の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾所見風俗の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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足尾所見風俗の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 杉菜畑鉱山神社の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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 杉菜畑鉱山神社の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 倉庫に於て諸物品を交付するの図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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 倉庫に於て諸物品を交付するの図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 鉱山神社祭壇の景

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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 鉱山神社祭壇の景

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 岩燕小滝の奇岩に図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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 岩燕小滝の奇岩に図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 馬車鉄道貨物運搬の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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馬車鉄道貨物運搬の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 銀山平の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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 銀山平の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

 

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 同上途中の図(銀山平)

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會

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 同上途中の図(銀山平)

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 大名峠海流の図

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 

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大名峠海流の図

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復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日発行より

備前楯山

 慶長15(1610)年、備前の国の農民治部(じぶ)と内蔵(くら)が、この山から銅を発見したと伝えられています。
 備前楯山は、昔「黒岩山」と呼ばれていましたが、銅を発見した二人の功績を称え、その出身地である備前の国の「備前」をこの山の名前に改めたと言われています。
 足尾銅山は、この山を中心に採掘が進められました。約400年でおよそ82万トンの銅を産出しました。
 備前楯山の標高は1、272m。
 舟石峠からの登山道もよく整備されており、山頂からの360度パノラマの眺めはすばらしく、日本百名山の男体山、皇海山、富士山を望み、眼下には、足尾銅山北部方面の特異な景色を見ることができます。
 春、黄色いマンサクの花から始まり、秋、錦織りなす紅葉が終わるまで多くの登山者が訪れています。

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備前楯山

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備前楯山登山口舟石駐車場にある舟形石

ロケ地として知られる足尾

 東京から約3時間で、他の町にない、独特の風景が点在する足尾町へ着きます。フィルムコミッション等の発展で、映画やTVのロケ地として数多くの撮影に使われていることをご存知でしょうか。
 町の北部に位置する松木渓谷は、かつて銅の製錬の煙害により、広大な地域がはげ山となり、荒涼とした風景が続きます。この松木渓谷で、古くはTVドラマで話題となった、加藤剛主演の「人間の条件」が撮影されました。近年では、敗戦後のジャズメンの青春を描いた、阪本順治監督・脚本の映画「この世の外へ クラブ進駐軍」の撮影が行なわれました。主演の萩原聖人やオダギリジョー等バンドメンバーが住む住宅や街並に、足尾銅山社宅が使われています。
 TVシリーズ「ミステリー民族学者 八雲樹」では、足尾町内オールロケで、役場職員や町民もエキストラとして多数が参加しています。銅山の町、足尾町ならではの風景に、放映後も映像の評価が高まっています。その他、65年、森繁久弥・三木のり平の「各駅停車」をはじめ、75年、松坂慶子・渥美清「友情」、99年、原田美枝子主演「愛を乞う人」などの作品も足尾町で撮影されました。また近年では2002年、木村拓哉主演「空から降る一億の星」、03年朝丘ルリ子「川いつか海へ」等の撮影が行なわれ、今でも注目を集めています。
 足尾はどこを撮っても絵になる所です。見つけた風景のなかでカメラのシャッターを切ってみて下さい。あなたもまちがいなく、ステキなモデルとなることでしょう。


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映画「人間の条件」足尾ロケの様子

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映画「各駅停車」足尾ロケの様子

足尾で見ることのできる主な植物

 標高差の著しい自然に恵まれた足尾は、貴重な植物の宝庫といえるでしょう。その中でも国の特別天然記念物に指定されいるコウシンソウは代表的なものといえます。
キク科(科)ヒゴタイ(植物名) 庚申山(昭和6年発見)(分布地)
       ヤバネホウコ  庚申山
       ツルカワラニガナ 古峰が原
キキョウ科 ホソバソバナ  庚申山
タヌキモ科 コウシンソウ  庚申山(特別天然記念物)
トウワタ科 ツルカシワ   庚申山
リンドウ科 タテヤマリンドウ  古峰が原
マイカズラ科 アラゲヒョウタンボク 半月峠
        ヤブヒョウタンボク 庚申山
エゴノキ科 コハクウンボク  二子山 庚申山
ヒイラギ科 ハシドイ  半月山
サクラソウ科 ユキワリソウ  庚申山
スミレ科 ノコギリスミレ 庚申山
      ヒゴスミレ 粕尾峠付近
クロウメモドキ科 ミヤマクマヤナギ 庚申山
ツツジ科 ウラジロナツハゼ 二子山 庚申山
メギ科 イカリソウ 二子山
ウマノアシガタ科 キバナヤマオダマキ 二子山
ラン科 ニョホウチドリ 庚申山
ユリ科 チシマアマナ 庚申山
カヤツリグサ科 ホソシラコスゲ 古峰が原
イネ科 ミチシバ  細尾峠
ウラボシ科 ナヨシダ  庚申山
        ミヤマウラジロ 庚申山

コウシンソウ 
 庚申山と日光のごく一部に自生する世界的珍種、タヌキモ科食虫植物のムシトリスミレ属に分類される多年草植物。明治23年8月、理学博士・三好学氏によって庚申山で発見され、「コウシンソウ」と名づけられました。高さ6~7cmくらいで細い花茎にうす紫色の花をつけます。
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コウシンソウ

足尾に棲みついている動物と鳥類

 周囲を山々に囲まれた足尾には、たくさんの動物たちや鳥たちが棲んでおり、特別天然記念物に指定されているカモシカやイヌワシが私達の目を楽しませてくれます。
動物
 モグラ科(科)モグラ(種類)
 ヒナコウモリ科 コウモリ
 オナガザル科 ニホンザル
 ウサギ科 キュウシュウノウサギ、トウホクノウサギ
 リス科 ホンシュウモモンガ、ニッコウムササビ、リス
 クマ科 ツキノワグマ
 イヌ科 タヌキ、キツネ
 イタチ科 イタチ、テン、アナグマ
 シカ科 ニホンジカ
 ウシ科 カモシカ
 イノシシ科 イノブタ
 ネズミ科 ネズミ

鳥類
 カラス科(科)ハシブトカラス、ハシボソカラス、カケス(種類)
 ムクドリ科 ムクドリ
 スズメ科 スズメ、ホオジロ
 セキレイ科 セグロセキセイ、キセキレイ
 メジロ科 メジロ
 ゴジュウガラ科 ゴジュウガラ
 シジュウガラ科 シジュウガラ、コガラ、ヒガラ、フクロウ、ウグイス
 フクロウ科 カワガラス
 ウグイス科 ヤマゼミ
 カワガラス科 アカゲラ
 キツツキ科 トビ、コジュケイ
 ワシタカ科 ヤマドリ
 キジ科 イヌワシ

カモシカ
 国の天然記念物に指定された貴重な動物です。
 ウシ科に属し、本州・四国・九州などに住んでいます。元来おとなしい動物で、険しい岩山の針葉樹林に生息しています。近年、シカの増加により山奥へ追いやられているのか見かけることが稀になてきています。

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カモシカ

足尾ダムと銅(あかがね)親水公園

 渡良瀬川の上流にある、松木川、仁田元川(にたもと)、久蔵川(くぞう)の3つの川の合流点に“足尾ダム”があります。
 このダムは、山の土砂の流を防ぐ砂防ダムです。このダムが出来る前の足尾の川は、大雨が降ると必ずたくさんの土砂が一緒に流れ、水の色は赤茶けたものになり、川を流れていく大きな石がぶつかり合う音が聞こえるほどでした。この状態が続けば渡良瀬川下流では大洪水がおきてしまう恐れがありました。そこで特に土砂の流れが多い三つの川が合流するところにダムを明治30(1955)年に完成したのです。このダムが完成してからは、大雨が降っても下流の人々に洪水のない安心感を与えています。
 また平成8(1996)年、ダムの下流に「銅(あかがね)親水公園」が完成しました。公園内には地域のシンボルとして珍しい人道用斜張橋の「銅(あかがね)橋」が架けられ、「足尾環境学習センター」が建設されるなど、足尾の自然と歴史が“体感”できる「いこいの場所」となっています。

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銅親水公園

足尾環境学習センター

 足尾環境学習センターは平成12(2000)年、銅親水公園内に完成した県内でも珍しい環境について学ぶ事の出来る学習施設です。
 館内では、写真資料などで、旧松木村・煙害などの歴史を振り返ることができるほか、大画面で足尾の歴史と自然を紹介するシアターを視聴する事ができます。そのほかにも松木渓谷を紹介する映像もあります。
 もっと足尾について知りたい人には公害、環境問題や観光についての情報が検索できるコーナーもあります。
 社会科見学や修学旅行に訪れる小中学生をはじめ、大人の方にも十分楽しんでいただける施設となっておりますので、ぜひ一度見学にいらしてください。

※開館
4月1日~11月30日
午前9時30分~午後4時30分(入館午後4時まで)

※入場料
大人 200円(180)円
高校生以下 100円(90)円
未就学児 無料
( )は15人以上の団体

※連絡先【足尾環境学習センター】
〒321-1500
栃木県上都賀郡足尾町原レ885
℡0288-93-2525
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足尾学習センター入口

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館内の様子

足尾に緑を育てる会

 一度は煙害によってはげ山になった足尾の山々も現在では少しずつ緑を取り戻そうとしています。それは多くの人の手と長い長い年月をかけて行なわれている緑化事業の成果といえるでしょう。この事業は、明治当初から行なわれ、100年以上の歴史があります。
 はげ山の緑化事業は、これまで国・県や企業が実施してきましたが、平成8年から「足尾に緑を育てる会」という緑化ボランティア団体がつくられ、国や県と一緒になってはげ山の緑化活動を続けています。煙害ではげ山になった面積は広大であることから、その緑化事業には100年も200年もかかると言われています。
 足尾は環境の事を学び、緑化活動に参加できる最適地です。
 足尾には、環境の事を学ぶ施設として「足尾環境学習センター」がありますが、平成17(2005)年10月、足尾に緑を育てる会では、「足尾環境資料室」を開設しました。
 足尾に緑を育てる会は、毎年4月の第4日曜日に植樹活動を行なっています。そのほか、多くの人々にはげ山の植樹活動に参加して欲しいと願い、体験植樹を希望する学校や団体の植樹活動を応援しています。連絡先は下記の通りです。
【足尾に緑を育てる会】
 〒321-1523栃木県上都賀郡足尾町松原2-10
 ℡0288-93-2180

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植樹活動の様子

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足尾環境資料室

銅街道(あかがね街道)

 「あかがね」とは銅のことですが、足尾銅山でとれた銅をむかしは、群馬県境町の平塚河岸まで馬で運び、さらに利根川で船を使って江戸まで運んだ時代がありました。そのときの銅の輸送に使われた陸路を“銅山街道”とか“あかがね街道”と呼んでいました。
 現在では当時をしのばせるものは、ほとんど残っていませんが、古文書などによると、この街道には5つの宿場がありました。その一つの花輪の宿場の銅問屋・前島河岸の蔵や街道の一部の建物が今でも残っており、当時の様子をしのばせてくれます。街道と言っても現代のような道幅の広いものではなく、馬がやっと通れるような、けわしい道が続いていたのです。
 このようにして足尾から運ばれた銅は、日光東照宮・芝の増上寺・上野の寛永寺・江戸城などを築くときに使われました。
 また、遠く長崎の港に運ばれ、オランダや中国の商人にも売り渡されたりしたのです。

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昔の銅街道

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花輪 高草木家銅蔵

馬車鉄道跡

 足尾銅山では、明治14(1981)年から相次ぐ  ※直利(なおり)の発見によって産銅量が一気に増えましたが、銅山で使う資材や働く人々の食料も大量に必要になりました。
 そこで、明治23(1890)年に物資輸送力を確保するために ※索道(さくどう)や軽便馬車鉄道をつくりました。 渡良瀬を輸送基地として町内各方面へ延びる軽便馬車鉄道網約25kmを整えました。
 今でもその遺構を町内のあちこちで見ることができます。神子内、切幹地区では、橋台部石積みと道跡が残っています。
 また、群馬県境付近渡良瀬川左岸に残る片マンプ(笠松片随道)は、深い峡谷を通すために固い岩盤をコの字状にえぐり取り、片桟橋を張り出す構造になっていたため、今でもはっきりとわかる町内に多く残されている貴重な産業遺産の一つです。

※直利(なおり);鉱床のなかで特に品位の高い部分。富鉱。
※索道(さくどう);空中ケーブル、スキー場のリフトを思い浮かべて下さい。

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町内に残る軽便馬車鉄道跡・神子内

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町内に残る軽便馬車鉄道跡・唐風呂

2007年11月26日

足尾銅山図絵「本絵」と「下絵」100年ぶり”再会” 下野掲載11月25日

足尾銅山図絵「本絵」と「下絵」100年ぶり”再会”

明治期の日本画家・田代古崖が足尾銅山抗内の様子などをかいた「足尾銅山図絵」の本絵と、スケッチに当たる下絵が11月24日、制作から約100年の時を経て”再開”した。

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足尾の鉄道の移り変わり

※足尾鉄道
 足尾銅山では、銅などの輸送効率をあげるため、鉄道輸送を考えました。大正元(1912)年12月30日までに桐生~足尾間が完成し、翌31日に1番列車が44kmのレールを走り始めました。国からの許可が下りるまでには、なんと計画から24年という長い年月を要しました。銅山念願の鉄道実現により、輸送力は増大し、日本の近代化に貢献する重要産業路線足尾鉄道となりました。

※国鉄・JR足尾線
 私鉄足尾鉄道は、大正7(1918)年、国が重要路線として買い上げ国鉄となりました。その後、昭和55(1980)年ごろ赤字線廃止問題が起こり、足尾線は昭和60年までに廃止ということになりました。しかし、沿線をあげての廃止対策「乗って残そう足尾線」を合言葉に猛烈な存続運動の末、県や沿線自治体のよる第3セクターわたらせ渓谷鉄道がレールを残すことになりました。
 
※わたらせ渓谷鉄道
 平成元(1989)年3月28日、JR足尾線は71年の歴史を閉じ、翌29日特製色とりどりのワンマン列車が桐生~間藤間を80分で軽快に走り始めました。四季折々の車窓からの眺めは素晴らしい人気の路線です。皆様のご乗車をお待ちしております。

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足尾鉄道/国鉄・JR足尾線/わたらせ渓谷鉄道

足尾と文学

 「すぐれた文学作品は、いわば一つの人生である。若い頃、いくつかのすぐれた文学作品に、われを忘れて読みふけったという思い出を持つ人は幸福だ。なぜかなら、その人は若くして、いくつかの人生を文学というもののみが保証する豊な複雑さにおいて知ったことになるのだから。」
   朝日ジャーナル 木下順二「すぐれた文学は一つの人生である」より

 わが銅山の町・足尾は数多くの優れた文学作品の舞台となっています。ここでは、そのうちのいくつかをご紹介します。
 ・滝沢 馬琴 「南総里見八犬伝」
 ・夏目 漱石 「抗夫」
 ・芥川 龍之介 「日光小品」
 ・山本 有三 「穴」
 ・長塚 節 「土」
 ・伊藤 左千夫 「鉱毒」
 ・木下 順二 「銅山」
 ・宮本 研 戯曲「明治の柩」
 ・立松 和平 「恩寵の谷」

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足尾が登場する文学作品

このほかにも多くの人たちが足尾を舞台に作品を残しています。
 ・河東 碧悟桐(かわひがし へきごどう)
 明治39年全国遍歴の旅(後紀文集『三千里』を編む)の途中、足尾に立ち寄りました。上の平にて銅山幹部と交流、久蔵より中禅寺湖へと旅を進めました。

・山口 青邨(やまぐち せいそん)
 大正初期の二年間、鉱山技師として古河に勤務し、選鉱技術の改良にかかわりました。彼が俳人として再び来山したのは昭和18年のことでした。

足尾の伝説と民話

 足尾は古くから隣接する日光との関係が深く、日光山を開いた勝道上人に関連する伝説がいくつか伝えられます。地名についても上人とのかかわりが伝えられており“神子内”(みこうち)はその中の一つです。

「地蔵になった巫女」
 むかし、男体山で苦行をしようとした巫女が、現在の神子内地蔵坂付近で腹痛をおこし、念願を果たす事ができずに世をさってしまいました。勝道上人はこれをあわれだと思って、地蔵尊をつくりました。
 それ以来、この地を地蔵坂、あたり一帯を神子内というようになったと伝えられています。
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 そのほか、足尾民話としては「猿になった娘」が有名です。

「猿になった娘」
 むかし、ある猟師が庚申山に猟に出かけ、吹雪に遭い道に迷ってしまいました。
 凍死寸前だった猟師は大猿に助けられましたが、そのお礼に娘を嫁にやる約束をしました。無事家にもどり、3人の娘に話をすると、末娘「孝子」が嫁いでくれることを承知してくれました。泣く泣く嫁いだ娘と再び庚申山で会ったときには、娘はすっかり猿の姿になっており、父娘は涙で別れました。
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「孝行猿」こけし

足尾の民謡(石刀節・直利音頭)

 足尾には、足尾銅山の抗夫によってうたわれた歌が、たくさん伝わっています。特に代表的なのが「足尾セット節」と「直利音頭」です。
 足尾セット節は銅山に生きた男たちが、地下深い抗内で銅を掘る仕事に挑んだときの逞しい心意気と、言い知れぬもの悲しさとを歌い上げた作業歌であり、足尾に古くから伝わる郷土民謡です。セットとは、明治以降にヨーロッパから入ってきた手掘り用片手ハンマー“マーセット”の略で、セット節は「石刀節」とも言われます。地底での作業中、カンテラのわずかな明かりを頼りに、命がけの仕事をする抗夫の慰めとなったのがこのセット節であり、現在では全国で歌われる日本の民謡です。

 足尾セット節
アー 向う通るは抗夫さんじゃないか 銅(かね)がこぼれる たもとから
アー 連れてゆくから 髪結いなおせ 島田じゃ関所が通れない

 直利音頭は、足尾独特の節まわしと踊りを持つ盆踊りの歌です。現在のような形に定着したのは、昭和の初め頃だといわれています。
 直利とは、質・量とともに良い銅鉱脈のことで、銅山にとっては大変おめでたい言葉です。また、直利音頭の歌詞は、足尾銅山の募集によってどんどん追加され、たくさんの数になっています。
 踊り方は選鉱作業を模した比較的単純なもので、初めての人でも簡単に覚えられ、親しみやすい踊りです。現在でも夏の盆踊りには、この直利音頭が着実に受け継がれています。

 直利音頭
山は三角 櫓(やぐら)は四角、踊れ兄弟まんまるく
花の渡良瀬青葉の小滝 月の眺めは備前楯
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直利音頭が響く納涼祭

足尾銅山を世界遺産に シンポジュウム 11月26日下野新聞掲載

ー日本の近代化・産業化と公害対策の起点ー 足尾銅山を世界遺産に シンポジュウム 11月26日下野新聞掲載

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シンポ 次第 表紙.jpg

シンポ 次第 2.jpg

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2007年11月29日

町をにぎわすまつり

★主なまつり★
・足尾まつり‥足尾銅山が栄えていたころから続く伝統的なお祭りです。
         抗内の安全を祈る鉱山神社に由来しています。 (5月3日)
       
・納涼祭‥涼しい夏の足尾町へ老若男女が集う夏祭りです。
      直利音頭のおはやしも若い後継者に受け継がれ、毎年大勢の人が一緒に盆踊りを踊ります。(8月中旬)

・庚申山まつり‥春はヤシオツツジ、秋はモミジにおおわれた庚申山荘で甘酒をふるまい、くじ引きを行ないます。登山道も整備された風光明媚な山のお祭りです。
(春:5月第3土・日曜日/秋:第3土・日曜日)

 足尾町には伝統的なこれらのお祭りのほかにも多くの人々が楽しめる様々なお祭りがあります。

●あしお陶器まつり
 足尾焼きを一堂に集めた“陶器市”です。普段より値引きをして販売しており、春と秋に開催しています。

●芸術祭(10月下旬)
 町民自らが絵画・書道・写真・文芸など日頃から楽しむ作品を寄せ合う庶民的芸術祭です。

●大黒天まつり(10月第2日曜日)
 「波之利(はしり)大黒天」のお祭りです。立派なみこしを担ぎ、「銅(どう)りゃ」のかけ声とともに町内を練り歩きます。

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足尾まつり

足尾みやげに足尾焼・銘品を

~足尾銅山の歴史が香るおすすめおみやげ~

 銅山の閉山を機会に“地域おこし”の一つとして鉱山から出る鉱泥(スライム)の活用を目的として「足尾焼」は誕生しました。
 現在8つの窯元が国道122号線沿いに点在しています。陶芸教室も行なっていますので詳細は各窯元へお問い合わせ下さい。

各窯元連絡先(市内局番 0288)
・陶芸壺中座    神子内4532 (93-2848)
・藤井窯        〃  1978 (93-2172)
・無雙焼紅葉菴    〃  1861-1 (93-3909)
・芳州窯        〃  1765 (93-3888)
・神子内窯      〃  1646 (93-4784)
・陶芸七色火    七色火1607-2 (93-2598)
・間藤駅観光センター 下間藤2-1 (93-2515)
・わたらせ窯     渡良瀬2154(93-3358)
・正三窯       原向3066-1 (93-2888)
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足尾焼

足尾町には足尾焼のほかにもさまざまな おみやげ品があります。

《おすすめおみやげ品》
・足尾和紙‥現在足尾和紙が好評です。あなたも暮らしを彩る和紙を手作り体験してみてはいかがですか。
・皇海麺‥足尾の最高峰・皇海山に源を発する清水を用いており、下野百選として滋味ある手打ち麺です。
・銘菓‥足字銭最中(江戸時代に足尾で鋳造された寛永通宝を型どった最中)なつかしい銘品アンコ玉も根強い人気です。

  ※青柳製菓 松原5-6 (93-2175) 
  ※岩本菓子店 松原5-1 (93-2170)
  ※安塚菓子店 松原3-1 (93-4175)
 ◎ますや肉店名物「手作りコロッケ」はTVでも紹介されています。


足尾で楽しむお泊りには

~名湯庚申の湯につかり、癒しのひとときを~

 足尾は、明治から大正、昭和そして平成へ、時の流れが見てとれる歴史の町です。標高630m~800mの地であり夏は涼しく緑が多く、首都圏の“オアシス”と言えます。足尾に一泊をして、庚申山の登山に、そして少し足を延ばして日光・鬼怒川方面に向かわれる行楽のステーションとしてもよいでしょう。

 足尾町の宿泊施設一覧表
 宿泊施設名          所在地          収容人数       電話
①国民宿舎「かじか荘」  足尾町銀山平5488    120名      93-3420
②亀村旅館           〃 赤沢15-26     40名      93-2109
③亀村別館           〃 銀山平5488     45名      93-2218
④御宿琴の家          〃 久良沢4251     50名      93-2855
⑤《町営》銀山平キャンプ場  〃銀山平5488      30名      93-4099
⑥《町営》庚申山荘       〃庚申山          40名      93-3417

 ※庚申の湯 
 銀山平地内キャンプ場入口付近に源泉を有し、国民宿舎かじか荘、亀村別館、御宿琴の家で利用できます。泉質は“アルカリ単純泉”で、肌もスベスベになることから、“美肌の湯”とも言われ、露天風呂も大変人気があります。

 【銀山平キャンプ場】
 「銅山観光」から南へ進み、切幹橋手前の国道122号線銅庚申アンダーを右折し、6kmほど行くと銀山平キャンプ場があります。庚申山登山のベースキャンプとして、また自然を満喫するには絶好の場所と言えます。

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銀山平キャンプ場

足尾の沿革史

時代 西暦  年号    主なことがら                               
原始  BC5500頃   唐風呂や野路又に縄文文化の人たちが住んだ
古代   645 大化1  下野国阿蘇郡足尾郷となる
中世  1315 正和4  足尾の5姓(神山・倉澤・齊藤・星野・亀山又は細内)が足尾に移住したと                  伝えられる
近世  1610 慶長15 備前国治部と内蔵によって備前楯から銅鉱が発見され、幕府の直山となる
     1676 延宝4  足尾千軒といわれ繁栄した
     1742 寛保2  この年から6年間足尾に鋳銭座をもうけて寛永通宝(足字銭)を約2億枚鋳                 造した 
     1817 文化14 銅山は休止状態となる。このころ滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」の中に足尾                庚申山を書いた
近代  1877 明治10 銅山が古河市兵衛の経営に移った
     1884 明治17 産銅量が増大して日本一の銅山になる
     1889 明治22 町村制の施行により、足尾村が町と改められ町役場が置かれた。
     1890 明治23 三大工事が竣工した(間藤水力発電所、日本初の索道架設、古河橋)
     1891 明治24 日本初の電気機関車(自社製)が運転される
     1897 明治30 第3回の予防工事命令が出され全町を挙げてこの工事を完成させた
     1901 明治34 松木村が廃村となった
     1907 明治40 足尾銅山に大暴動が起こった
     1912 大正元  足尾鐵道の桐生・足尾間が開通した
     1916 大正5  銅山の最好況時で、人口が38,428人となり、市制が期待された
     1921 大正10 足尾で栃木県内で初めてメーデーが実施された
     1945 昭和20 新しい銅山労働組合が発足した
     1952 昭和27 「コウシンソウ」が特別天然記念物に指定された
     1953 昭和28 町内3つの中学校が統合され、足尾中学校となる
     1954 昭和29 小滝抗が廃止され、小滝に住むほとんどの人が移転した
     1956 昭和31 自熔製錬法を導入し、日本初の完全無害銅製錬を完成した(世界2番目)
     1973 昭和48 2月28日足尾銅山が閉山となり、銅山発見以来360有余年の歴史の幕を                閉じた
     1978 昭和53 町民待望の日足トンネルが開通(3,30)し、数々のイベントが開かれた
     1980 昭和55 4月23日足尾銅山観光がオープンした
     1989 平成元  3月29日わたらせ渓谷鉄道の営業が開始された
     1996 平成8  銅親水公園工事竣工式(4,11オープン)が行なわれた
     2000 平成12 足尾環境学習センター竣工式が行なわれた(4,7)
     2006 平成18 今市市・足尾町・藤原町・栗山村・日光市を配置分合し、「日光市」となる

足尾の人口の移り変わり

 足尾の人口の移り変わりを見ると、足尾の町が銅山の町であり、銅山と共に歩んできたことがひと目でわかります。大正時代は4万人に近づき市制にすることが考えられた程でした。
 銅山の閉山と同時に人口減が続いていますが、現在では歴史の町、観光の町、そして福祉の町として、住みよい町づくりに町民が一つになってがんばっています。
 住みよい町「足尾」に一度住んでみませんか。

  年度      世帯数    人口(人)
明治 42年   6,427   26,873  昭和49年   2,469   7,461
大正 元年  7,035   30,467     50年   2,431   7,237
     5年   8,484   38,428     51年   2,382   7,000
    10年   6,350   26,172     52年   2,329   6,754
    15年   5,114   22,499     53年   2,386   6,541
昭和  2年   5,120   22,254     54年   2,231   6,367
     5年   5,149   23,803     55年   2,194   6,168
    10年   5,396   25,484     56年   2,167   5,991
    15年   5,000   23,187     57年   2,144   5,877
    20年   4,825   20,997     58年   2,142   5,773
    21年   4,442   18,808     59年   2.120   5,617
    22年   4,229   19,107     60年   2,095   5,447
    23年   4,477   19,100     61年   2,146   5,324
    24年   4,138   19,067     62年   2,124   5,218
    25年   4,151   18,994     63年   2,146   5,064
    26年   4,210   19、022 平成  元年   2,109   4,935
    27年   4,208   19,293      2年   2,105   4,844
    28年   4,162   19,433      3年   2,080   4,691
    29年   4,043   19,420      4年   2,065   4,561
    30年   4,029   18,150      5年   2,049   4,445
    31年   3,929   18,385      6年   2,015   4,346
    32年   3,903   18,150      7年   2.015   4,294
    33年   3,868   18,403      8年   1,974   4,140
    34年   3,868   18,403      9年   1,955   4,052
    35年   3,870   18,094     10年   1,925   3,954
    36年   3,667   17,030     11年   1,907   3,842
    37年   3,663   16,891     12年   1,870   3,723
    38年   4,038   16,407     13年   1,840   3,653
    39年   3,953   15,747     14年   1,825   3,580
    40年   3,917   15,207     15年   1,800   3,521
    41年   3,849   14,552     16年   1,763   3,386
    42年   3,748   13,822     17年   1,720   3,266
    43年   3,663   13,011
    44年   3,549   12,154
    45年   3,468   11,476
    46年   3,365   11,008
    47年   3,154   10,238
    48年   2,765    8,699   国調17年   1,465   3,248

                                      (毎年4月1日現在)

環境のまち、「足尾」

国や県による植樹事業
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スーパーキャリア

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小学生による体験植樹

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「足尾に緑を育てる会」では自然や環境について学ぶ事が出来ます。

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足尾環境学習センターでは、足尾全町の模型を見学することができます。

足尾、銅山町の芸能・娯楽文化

●芸能関係
 1、観劇・映画など
   ①歌舞伎  ②剣劇   ③新派   ④新劇   ⑤洋画   ⑥日本映画(活動写真)

 2、大衆芸能
   ①浪曲(浪花節)②義太夫 ③講談  ④落語  ⑤漫才  ⑥サーカス(曲場団) ⑦大道芸 
   ⑧見世物  ⑨手品

 3、歌舞関係
   ①オペラ  ②音楽会  ③演奏会  ④合唱団、軽音楽  ⑤流行歌手  ⑥バレー
   ⑦日本舞踊  ⑧直利音頭

 4、地元芸能
   ①素人芝居(村芝居)  ②旅芸人  ③演劇集団、演芸会  ④伝統芸能
 
●祭り、鳴り物、舞踊
   ①山神祭(仮装行列) ②桜祭り  ③納涼祭(盆踊り) ④庚申講  ⑤園遊会
   ⑥お囃子  ⑦お神楽   ⑧太鼓

●運動会、スポーツなど
   ①全山大運動会  ②剣道  ③柔道  ④野球  ⑤スキー  ⑥山登り

●盛り場
   ①カフェー  ②ダンスホール  ③縄暖簾・赤提灯

足尾の映画館と劇場の推移

 足尾町の映画館と劇場分布図
 ※印は古河系の劇場

※①「直利座」
   昭和6年(1931)本山に建つ。
   本造2階。定員1000名。

 ②「エビス座」
   上間藤に在し、大正13年頃の「名山足尾」によると、青木興業部にて営業。定員1000名。閉山   時解体。

 ③「城崎座」

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城崎正一郎氏 所蔵

   座主城崎浅吉。大正6年(1917)上間藤に建つ。定員1200名。

 ④「いろは座」
   大正13年、上間藤に建つ。定員数800名位の小屋。消失。

 ⑤「金田座」後改称「足尾劇場」
   明治36年(1903)赤澤に建つ。設請負者仁平長吉氏による。座主は今市市相之道油屋、金田徳松・金田祐の金田興業部にて営業(大正2、5年の地図に掲載)。その後、工藤常之助氏の工藤興業部を経て、昭和6年頃、片山興業部へと移り、戦後は青木ムメ氏の青木興業部に移り足尾劇場と改称。定員階下800名、階上400名。平成5年4月1日解体。

 ⑥「末広劇場」
   昭和24年、東映系映画館として赤澤に建設。座主木村泰一氏。オープン時に高倉健来館。定員500名位。昭和64年3月消失。

 ⑦「足尾館」後改称「足尾キネマ」
   足尾で一番古いとされているが、明治35年(1902)松原に建つとある。調べは大正13年「名山足尾」の記録と赤倉の多喜屋主人、青木氏の大正8年頃の資料による。
   昭和7年頃、松竹映画「時の氏神」の現代劇。主演夏川静江。昭和24年(1949)映画研究会、俗に「映研」時代は記憶に新しい。「映研」は鈴木秀夫氏と実弟の新勝等で運営され、当時の会員1200名、会費は月が40円。
 昭和33年には、会員2300名の映画人口を有するほどになる。
   昭和44年4月、火災消失。

※⑧「誠之館」
    大正3年(1914)、足尾では最大の劇場。中才に木造2階建て。1587㎡、定員2000名。
    戦後、歌舞伎菊五郎一行による上演は「三番叟・勧進帳」、新派劇水谷八重子による上演「父帰る」、大相撲東富士一行、柿沼サーカス、木下サーカス、東海林太郎歌手など。
    昭和34年、火災消失。

 ⑨「小滝座」
   いつごろ建ったのか。小滝文象に新嘉蔵が建てた。大正9年、火災消失。定員600名と聞く。

※「鉱盛座」
  小滝に在す。昭和21年7月13日火災消失。昭和26年、小滝会館として再建。定員700名。


『足尾を語る会』会報  1994 第5号より抜粋 


2007年12月02日

「足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~」 下野新聞掲載

「足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~」 12月2日開催が下野新聞に掲載された。

当日は、好評の古河機械金属の小型ディーゼル機関車2台に加え、旧国鉄矢板駅で使われた車両も登場。さらにボンネットバスや三輪トラック、ジープなど約50台が集合する。 

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「足尾銅山」近代化遺産に認定 下野新聞掲載12月1日掲載

「足尾銅山」近代化遺産に認定

経済産業省は、幕末から終戦にかけて日本の産業発展に貢献した歴史的な工場跡や港湾、鉱山などを「近代化産業遺産」に認定。日光市から足尾銅山や日光金谷ホテルが選ばれた。
甘利明経産相は「東洋の奇跡」をつくりあげた先人の努力を知り、地域の発展につなげてもらいたい」とあいさつ。

近代化遺産 足尾銅山.jpg

2007年12月03日

足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  15tディーゼル

足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~ 15tディーゼル

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日立製作所製・15tディーゼル機関車・1964(昭和39)年製造・製造番号12811・ロッド式・東洋埠頭(大阪/桜島駅)→東北ポール/共同運輸(岩手/村崎野駅)→栃木県北通運(栃木/矢板駅)を最後に廃車後、足尾駅に移動し保存されました・民間鉄道保存団体所有

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15t 通.jpg

 

足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  10tディーゼル

足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  10tディーゼル

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協三工業製・10tディーゼル機関車・1980(昭和55)年製造・ロッド式・足尾鉱業所にて使用されました・古河機械金属㈱所有

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足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  8tディーゼル

足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  8tディーゼル

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日本輸送機(ニチワ)製・8tディーゼル機関車・1965(昭和40)年製造・製造番号1105001・ロッド式・足尾製錬所で使用されました・古河機械金属㈱所有

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足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  ボンネットバス

足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  ボンネットバス

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このボンネットバスは会期の12月2日、足尾駅から足尾銅山観光間の無料送迎が行なわれました。
イベントだけでわなく観光シーズンの土・日に、送迎や観光案内が出来たらいいですね。

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足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  三輪トラック

足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  三輪トラック

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マツダT1500 TUBBSN型(昭和41年製)

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足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  クライスラー・デソート

足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  クライスラー・デソート

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映画出演のクライスラー・デソートが登場
<Chrysler Desoto 1938/>

2007年秋封切映画「続・三丁目の夕日」
2007年秋封切映画「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」で女優 黒木瞳氏が乗車。

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2007年12月05日

コークス 明治21年から製錬に使用

東京・深川コークス工場完成 足尾に搬入し製錬に使用する。

市兵衛をめぐる人々 で渋沢栄一が勧めた「コークス」 

コークスとは、石炭を蒸し焼き(乾留)した燃料のことである。蒸し焼きにすることで石炭から硫黄、コールタール、ピッチなどの成分が抜ける。燃焼時の発熱量が高く、高温を得ることができることから蒸気機関車や鉄鋼業などを中心に重厚長大産業には欠かせない燃料となっている。外見は石炭に似るが、多孔質であるため金属光沢は石炭に比して弱い。多孔質は、乾留(1,300度以上)の際に石炭中の揮発分が抜けてできるものであり、結果的に炭素の純度が高まり高温度の燃焼を可能とする。

乾留時には石炭ガスとよばれる水素を主成分とする可燃性のガスが得られ、かつては家庭用ガスの主成分となっていたが天然ガスの普及に伴ない現在は姿を消した。また硫黄やベンゼンなど多くの化学製品の原料となるコールタールが副産品として生じる。

ウィキペディアより

古河潤吉 趣味、嗜好 「本邦最始の自動車」

本邦最始の自動車 

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上写真は、本邦に初めて輸入された自動車で、これは明治33年 東宮殿下御成婚の大典を挙げられた時、米国桑港在留の邦人が慶祝の微衷を表さん為、時の領事陸奥廣吉伯の発議によって献上したものである。
陸奥伯は、潤吉君が機会に對する趣味の深いことを知って居るので、この自動車を君宛に積出して、組立方をを一任した。そこで、君は高田商會の技師職工を督して、この光栄ある自動車の組立をなし、献納の運びに到らせたのであった。

発行 五日會 古河潤吉君傳より

 

2007年12月06日

古河潤吉 趣味、嗜好  「顕微鏡的研究」と「鉱物薄片」

古河潤吉には、「趣味」は、多々あったようであるが中でも特異のものは、鉱物、及び、岩石の顕微鏡的研究であったとの事で、愛用の顕微鏡は、アメリカ留学中に父宗光翁より購い貰ったもので、ドイツ フュース会社第二鉱物用です。
下図の書棚は潤吉のライブラリーの1部で、採鉱冶金地質鉱床鉱物に関する参考書が収集されてある写真です。

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下図の顕微鏡写真は、潤吉が研究した足尾地方のコーディエライトで、これ等の鉱物薄片を研究し所有していた。
当時の理科大学と地質調査所以外では薄片を作った学者は極めて稀であった。

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発行 五日會 古河潤吉君傳より

 

 

「コーディエライト」

コーディエライトとは、

趣味、嗜好  「顕微鏡的研究」と「鉱物薄片」で紹介したコーディエライト

 

菫青(きんせい)と呼ばれる、濃いスミレ色を呈する。(「菫」はスミレと読む)

アルミニウム、マグネシウム、鉄を含む珪酸塩鉱物。斜方晶系に属す。

コーディアライト、ウォーターサファイアとも言われる。

変成岩(火山岩)やペグマタイト中から発見され、六角柱に近い形状の双晶がサクラの花に見えることから「桜石」とも言われる。英名の語源はギリシャ語の紫[ios]といわれる。

多色性を持ち、見る角度により濃淡や色が変わる。青から透明に変わる様子が水面のように見えるためウォーターサファイアとも呼ばれる。強い多色性のため、ダイクロアイト(二色の石の意)ともよばれる。鉱物学名としてコーディエライトとよばれる。これは鉱物学者コーディエの名が語源、書籍によってはラピスラズリとして紹介される。
化学式は Mg2Al4Si5O18

宝石・鉱石と、その魔法的伝承、宗教的伝承(PDF)より

2007年12月08日

本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。NO.1

本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。NO.1

足尾の舟石線を走りました。NO.5 本山鉱山神社では最初の鳥居の画像でした。
本殿まで上りましたので紹介します。

明治22(1889)年、銅山繁栄を願う抗夫達によって、旧本山社宅の最上段に本山鉱山神社が建設されました。 神社は、大山祗命(おおやまずみのみこと)、金山彦命(かなやまびこのみこと)、金山姫命(かなやまひめのみこと)の三神が祀られています。足尾に存在する山神社として最古のものです。 立派な彫刻は、関東の名工、磯部儀兵衛平五郎敬信の作が施され、神社には釘を1本もしようしていないたてものです。 周囲には、鳥居2基、石灯籠、水鉢石、狛犬などがあります。 銅山隆盛の頃は、毎年「三神祭」が行なわれ、多くの人々で賑わいました。

3代目・古河虎之助社長写真
本山神社に参拝する3代目・古河虎之助社長。来山時には、かならずお参りをしたという。

本山神社 1.jpg

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本山神社 3 斜め鳥居.jpg

本山鉱山神社 階段 道のり.jpg

山神社 石碑.jpg

2007年12月09日

本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。 社殿建築献金の碑

社殿建築献金の碑

鉱長 木村長七(きむら ちょうしち)の金500円をはじめ役員や抗夫頭外抗夫一同など、本山抗のあらゆる職種の人達が献金をし、その総額は、3,279円53銭にも達した。金10円を献金した抗部課長 青山七三郎(あおやま しちさぶろう)は、その頃月給12円であったという。この碑は、足尾銅山の黎明期の活気と心意気を伝える貴重な記録である。
明治22年4月28日 社殿竣功式          

社殿建築献金の碑.jpg

社殿建築献金の碑 看板.jpg

本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。 灯篭

本山鉱山神社 鉄の灯篭

この灯篭の迫力に感動しました。左右に2つづつありました。

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本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。 狛犬

本山鉱山神社  狛犬

阿修羅のごとく迫力の狛犬たち

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本山鉱山神社 に登ってきました。 本堂の四隅の彫り物

本山鉱山神社 本堂の四隅の彫り物

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本山鉱山神社 に登ってきました。 本堂の扉

本山鉱山神社 本堂の扉

鉱山神社 本殿扉1.jpg

鉱山神社 本殿円柱1.jpg

本山鉱山神社 に登ってきました。 鉱山神社 グラウンドの横にて

本山鉱山神社 グラウンドの横にて

鉱山神社グラウンド横1.jpg

鉱山神社グラウンド横2.jpg

復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會  杉菜畑鉱山神社の図

2007年12月12日

本山鉱山神社 に登ってきました。 敬神愛国の碑

本山鉱山神社 敬神愛国の碑

本山鉱山神社に向かう途中に、敬神愛国の碑を見つけました。
そこに先代の名前がありました。

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敬神愛国碑 一徳.jpg

分かりづらいので白く囲いました。

敬神愛国碑 一徳 白囲み.jpg 

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紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之とあります。
この時代を物語っている年度の表現です。詳しく調べて後日UPしたいと思います。

本山鉱山神社 に登ってきました。 途中の景

本山鉱山神社 に登ってきました。 途中の景

本山鉱山神社 までの 山みち.jpg

この石碑と灯篭の先、目指す山頂に本山鉱山神社がありました。

2007年12月13日

観光マイスター制度検討と足尾銅山の世界遺産登録推進に職員配置 日光市議会一般質問 下野掲載

観光マイスター制度検討と足尾銅山の世界遺産登録推進に職員配置 下野掲載12月13日

観光マイスター制度:サービス提供の向上と関係者の意識高揚につながる制度を検討する考えを明らかにした。
私も出向している「市観光振興開発推進本部」の中間報告で「観光マイスター」制度が提案された。
日光商工会議所の「日光検定(仮称)」と連携しより効果的となるべきである。

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足尾銅山の世界遺産登録推進の為の職員配置:必要に応じて職員を配置したいとの事。

観光マイスター 一般質問 2世界遺産.jpg

 

 

本山鉱山神社 敬神愛国の碑の紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之について

本山鉱山神社 敬神愛国の碑の建てられた時代を調べてみました。

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「紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之」について調べたところ、恥ずかしながら「皇紀(こうき)」について知りました。神武天皇即位の年を元年と定めた紀元。正式には「神武天皇即位紀元」という。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたる。2005年は皇紀2665年になる。日本の歴史は皇紀による始めるゆえ、便宜上的は西暦より易く使えるが今はあまり使う人が見られない。インドネシア独立宣言書にも使われている。なお、神武天皇即位の年代は讖緯説にもとづいて決定された伝説上のものであり、紀元前600年代には日本は弥生時代であり、古墳時代にすらなっていない。

「紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之」は、西暦1898年、明治31年となる。
明治22年に本山鉱山神社が建築され、9年後に敬神愛国の碑が建てられた事になる。

この年足尾銅山では、1896年(明治29)の第一回鉱毒予防工事命令が下ってから、明治36年まで5回の予防工事命令の最中にあり、明治31年は世界唯一の脱硫塔が完成し稼動した年である。
脱硫塔の結果として古河は足尾銅山の稼業停止を回避することが出来たが、公害防止効果は完璧なものではなかった。特に製錬排ガスの処理については、脱硫塔の効率は50%以下で、効果は認められるものの現在の技術から見ると完全なものではないといわざるを得ない。 明治31年秋、大雨のため渡良瀬川が再び大洪水となった。鉱毒予防工事で完成した堆積場の一部が崩壊し、下流で鉱毒問題が再発する。

 

2007年12月15日

片マンプ 「笠松隧道」

明治25(1892)年、銅と物資の輸送量えお増やすために足尾・群馬沢入間に軽便馬車鉄道(けいべんばしゃてつどう)を開通させました。
ここは、花崗岩の高い崖が切り立っており、鉄路を開通させることは困難でした。
そこで、岩盤をコの字状に抉り取り、片桟橋を張り出す構造になっています。
断面は、高さ約3m、幅2m、顕著に開削した跡が残る、延長40mの貴重な産業遺跡です。

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片マンプ2.jpg

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軽便馬車鉄道橋台石積

明治23(1890)年足尾銅山は、資料や食料輸送のため、町内に軽便馬車鉄網を整備し始めました。
この渡良瀬川対岸に残されている石積には、渡良瀬川を渡る馬車鉄道橋台跡です。
切幹から群馬沢入まで延長約6kmを、明治24年(1891)年から、25年にかけてゆっくり、大正3(1914)年に廃止されています。

馬車鉄道1.jpg

馬車鉄道2.jpg

磐裂神社 

「足尾五氏」と言われる一族14人が、(日光から移住したとも伝えられている)妙見宮の分身を拝受し、同大3(808)年に氏神として祀り、後に足尾郷14ヶ村の鎮守となりました。
関東三大妙見様の1つといわれています。
境内には、栃木県銘木100選の大檜の、御神木があります。
当初は、現在の中才浄水場のところにありましたが、浄水場をつくるときにこの地にうつされ、名前も磐裂神社に改められました。
磐裂とは、足尾らしい名前の神社です。


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磐裂神社 2.jpg

磐裂神社 本殿

「足尾五氏」と言われる一族14人が、(日光から移住したとも伝えられている)妙見宮の分身を拝受し、同大3(808)年に氏神として祀り、後に足尾郷14ヶ村の鎮守となりました。
関東三大妙見様の1つといわれています。
境内には、栃木県銘木100選の大檜の、御神木があります。
当初は、現在の中才浄水場のところにありましたが、浄水場をつくるときにこの地にうつされ、名前も磐裂神社に改められました。
磐裂とは、足尾らしい名前の神社です。

磐裂神社 4 本殿横.jpg

磐裂神社 4 本殿横 UP.jpg

磐裂神社 鈴

「足尾五氏」と言われる一族14人が、(日光から移住したとも伝えられている)妙見宮の分身を拝受し、同大3(808)年に氏神として祀り、後に足尾郷14ヶ村の鎮守となりました。
関東三大妙見様の1つといわれています。
境内には、栃木県銘木100選の大檜の、御神木があります。
当初は、現在の中才浄水場のところにありましたが、浄水場をつくるときにこの地にうつされ、名前も磐裂神社に改められました。
磐裂とは、足尾らしい名前の神社です。

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磐裂神社 7 看板.jpg

磐裂神社 狛犬

「足尾五氏」と言われる一族14人が、(日光から移住したとも伝えられている)妙見宮の分身を拝受し、同大3(808)年に氏神として祀り、後に足尾郷14ヶ村の鎮守となりました。
関東三大妙見様の1つといわれています。
境内には、栃木県銘木100選の大檜の、御神木があります。
当初は、現在の中才浄水場のところにありましたが、浄水場をつくるときにこの地にうつされ、名前も磐裂神社に改められました。
磐裂とは、足尾らしい名前の神社です。

磐裂神社 8 狛犬.jpg

磐裂神社 御神木

栃木県銘木百選
「御神木」記
この御神木(ひもき)は、「生命」の守り木と云われております。町内は、もとより各方面から長寿を願っておとづれます。太平洋戦争当時は出兵兵士が無事帰還帰還を願い御神木の皮をはがして肌身に着け出従しました。
しかし現在では御神木をまもるために皮をはがさずまわりの鎖へ麻を結んで長寿を祈っております。樹齢250年、高さ35m、太さ3.2m、平成元年に栃木県銘木百選に指定されました。

御神木 看板.jpg

御神木 木看板2.jpg

御神木 幹3.jpg

御神木 幹4.jpg

有越索道塔

昭和14(1939)年、第3有越索道2,700mが、大峰まで架けられました。
通洞選鉱場から出された廃泥を、有越堆積場や水山堆積場へ運搬するためにつくたれたもので、選鉱裏山にそびえる、2本のコンクリート造りの支柱は、下の支柱が18m、上の支柱が25mあります。
昭和35(1960)年簀子橋堆積場が出来た事によって、使命を終わりました。
現在では、ロープがはずされ、2本の塔だけが残されています。

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有越 2.jpg

2007年12月17日

足尾駅の結婚式に遭遇

12月16日の仕事帰りに足尾駅に通りかかると、見慣れない黄色い列車が停車していたので車を止めた。
するとシートをかぶっているはずの日立製作所製・15tディーゼル機関車(1964)に人だかりが出来ている。
あわててシャッターを切った。
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15tディーゼル機関車 結婚看板.jpg

なにやら結婚式が行なわれているとの情報・・・・ 凄・・・・

結婚式の流れをまとめると
桐生方面から、見かけた黄色い車両(サロンドわたらせ)に乗り、車内で披露宴がスタート。
↓ 約1時間半の車中(通常の披露宴内容とビンゴゲーム大会を催したとの情報)
足尾駅到着後に、足尾駅に停車してある「キハ35 70」でケーキカットとお色直しが行なわれた。
・お色直しでは、渡良瀬渓谷鉄道の制服?にお色直し!
・ビンゴゲーム大会優勝者は、お色直しの待ち時間に日立製作所製・15tディーゼル機関車(1964)を運転できる。
↓復路、一路桐生方面へ帰る。

なかなか楽しい、驚きの披露宴ですね! 足尾の楽しみかたを教えられました。「貴重な偶然でした。」

 

DE101678とサロンドわたらせ

客車ディーゼル 赤先頭.jpg

客車ディーゼル 全体.jpg

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サロンドわたらせ 車両.jpg

 

キハ35 70  「披露宴ご参加者は皆さん和やかな雰囲気でした。失礼なので当日の画像は、有りません。」
わたらせアートプロジェクト(WAP)のクロージングパーティの画像です。

キハ35 70[1].jpg

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足尾出身・足尾にゆかりのある人物 伝説・歴史

足尾出身・足尾にゆかりのある人物 伝説・歴史

・日本武尊(ヤマトタケルノミコト) 110年 庚申山に登った。
『古事記』では「倭建命」と表記
日本武尊は、日本神話の中でももっとも武力に優れた英雄のひとりである。
出生は景行天皇の皇子という高貴な身分で、その体躯は幼い頃から雄々しい気迫にあふれていた。

・勝道上人(しょうどうしょうにん)  817年 庚申山に猿田彦神社を祭る。足尾を命名。
少年期から山林修行を行い、762年(天平宝字6年)下野薬師寺の如意僧都に師事して得度受戒した。765年(天平神護元年)には出流山満願寺(栃木市)を開創している。782年(延暦元年)日光山(ニコウ山=二荒山、ふたらさん、男体山)の開山を志し入山、四本龍寺(現輪王寺)を建てる。二荒山神社や輪王寺などにつながる日光山繁栄の源を作った。784年(延暦3年)には中禅寺湖中禅寺を開いた。

・伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう) 宝増寺を創建と伝えられている。
日本天台宗の開祖。(767~822)
伝教大師最澄は学問好きで諸学に優れ、比叡山延暦寺で一切経読破、天台智顗、大乗仏教に傾倒、更には密教、禅など巾広い文化を弟子や学生に伝えます。その中から浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、時宗の一遍、日蓮宗の日蓮、曹洞宗の道元、臨済宗の栄西などが生まれました。

・藤原秀郷 (ふじわらのひでさと )940年 平将門征討の折庚申山で武運を祈る。
佐野が生んだ偉人。平将門の乱を収め、弓馬騎兵の祖として伝説化された。
官位は従四位下、下野守兼武蔵守鎮守府将軍。室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、近江三上山の百足(むかで)退治の伝説で有名。もとは下野掾であったが、平将門追討の功により、従四位下に昇り下野、武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられ、勢力を拡大。源氏、平氏と並ぶ武門の棟梁として、多くの家系を輩出した。

・日蓮上人(にちれんしょうにん) 1265年 薬師堂に巡錫し一泊したと伝えられている。
鎌倉時代の仏教の僧。法華経系諸教派が宗祖とする。死後に皇室から日蓮大菩薩と立正大師の諡号を追贈されている。

治部・内蔵 (じふ・くら) 1610年 銅鉱を発見する。備前楯の名の起こり。
足尾郷の農民であった治部(じふ)と内蔵(くら)がこの山で露頭している銅鉱石を発見し、日光座禅院座主に報告しました。座主は2人の功績を記念して、この山を農民の生まれた国の名前をとって「備前楯」(びぜんたて)と名付けました。

・佐藤信淵(さとう のぶひろ) 1850年 父と足尾へ来る。
江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家でもある。出羽国雄勝郡郡山村(現秋田県雄勝郡羽後町)出身。


 

2007年12月19日

足尾コース 素材 足尾概要

足尾概要

 

HP UP用足尾マップ 写真 最新.jpg

 

足尾町は、まわりを大小の山々に囲まれた谷間の町です。銅が発見されるまでは、人里はなれたひっそりとした山村でした。

 慶長15(1610)年、備前楯山に銅が発見されたと言われています。その後、江戸幕府直営の鉱山として大いに栄え、“足尾千軒”といわれる程、人家も建ちならびました。そして、足尾でとれた銅は東照宮や江戸城、芝の増上寺、上野の寛永寺の屋根に使われたり、寛永通宝(足字銭)というお金にもなり、約2億枚が製造されました。 しだいに銅が取れなくなり、廃山のようになってしまいました。

 明治10(1877)年になって「古河市兵衛」が経営するようになりました。そして当時日本の鉱山運営において最新の技術、設備をとり入れた事により、銅山は急速に発展し、我が国の産銅の40%以上を生産し、東洋一の銅山とよばれるようになりました。しかし、産銅の増大に伴い、煙害や水質土壌汚染が広がり、深刻な問題となりました。明治24(1890) 田中正造が国会で、足尾銅山鉱毒問題を取り上げ、大きな社会問題へと発展していきました。

 大正5(1916)年には人口も、38、428人に達し、県内では宇都宮市(5万8千余人)に次ぐにぎわいを見せました。 その後、戦争のために無計画に掘り出した結果、銅を思うように生産できなくなりました。 ついに、400年近くも続いた「足尾銅山」も昭和48(1973)年2月に様々な歴史を残して閉山となりました。

 

足尾コース 素材 製錬所跡

 足尾製錬所は明治17(1884)年に、増大する製錬処理に伴い現在の地に「直利橋(なおりばし)分工場」としてはじまりまりた。明治26(1893)年からは「ベッセマー式転炉」により、32日かかっていた製錬工程を2日間という短期間で、さらに大量製錬できる最新技術を導入しました。
しかし大量製錬伴い亜硫酸ガスも増大しました。
 足尾製錬所では、亜硫酸ガスを除去しようと改良を加えてきました。
 昭和31(1956)年にはフィンランドのオートクンプ社から自溶炉製錬技術を導入しました。この方法は日本で初めて亜硫酸ガスを止めることができました。さらに煙からは副産物として硫酸を取り出す方式が確立されています。足尾で開発されたこの製錬技術は、日本や世界で現在も活用されている無公害の銅製錬方式です。
 昭和48(1973)年に足尾銅山は閉山しますが、製錬所は輸入した鉱石を製錬してきました。平成元(1989)年、足尾線廃止に伴い、貨車輸送が困難になり製錬所は事実上の操業を停止しました。

製錬
鉱石から目的の金属を取り出す工程を「製錬」といいます。鉱石を溶かし銅を取り出す時に、鉱石の中の硫黄分が亜硫酸ガスとなり山の草木を枯らしてしまう原因です。

精錬所 前.JPG 

精錬所煙突.JPG 

足尾コース 素材 龍蔵寺

大宝(701)年創設 日光山輪王寺を本寺とする天台宗のお寺。
廃村となった旧松木村の先祖の無縁仏が合祀されている。また銅山に一生を捧げた渡工夫のお墓が数多くあります。

 龍蔵寺.JPG

足尾コース 素材 足尾銅山観光

約400年間にわたり掘り開いた坑道の総延長は1,234km(およそ東京から博多間)、その深さは東京湾の深さに近いまでに達します。
 足尾銅山観光はその“日本一の鉱都”とよばれた日本最大の足尾銅山の再現をはかって始められた抗内観光です。
 全長700mの抗内を見学すると足尾銅山の歴史や内容だけではなく、鉱山のしくみもよく知る事ができます。薄暗い抗内は江戸時代の手掘りの様子から、現在の機械化されている銅山の様子まで人形を使って年代ごとに紹介されています。
 キャラクター“源さん”と一緒に足尾銅山の歴史を旅する探検シアターを見ると足尾銅山のスケールが理解できます。
 このほか、場外には、むかしのお金が造られる様子を人形を使ってあらわした「鋳銭座(ちゅうぜんざ)」や足尾銅山で実際に使われていた道具類や産出された鉱石など珍しいものがたくさん展示されている「資料室」があります。
 また足尾銅山観光の坑道「通洞抗」は2007年「国史跡指定」を受けています。
下野新聞平成191117日掲載

 通洞抗1.JPG

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足尾コース 素材 足尾歴史館

足尾歴史館は、足尾フアンのための施設です。
そして、多くの方々に足尾をより深く知っていただくための施設です。
足尾をテーマに交流できる施設です。
ここには、江戸時代から昭和まで日本を支え続けてきた町の、移り行く姿を伝える写真など、貴重な資料が展示されています。
足尾銅山の真の姿を、いろいろな角度から再発見してください。

足尾楽迎員協会の方々が「足尾銅山の世界遺産登録」に向けての活動含め、足尾の歴史を熱く楽しく案内してくれます。

足尾コース 素材 小滝抗跡(日光市指定史跡)

明治10(1887) 年、足尾銅山経営を始めた古河市兵衛は、小滝の旧抗(250m先までの堀止)を利用し、明治18年(1885年)7月にこの小滝抗を開抗し、わずか約9m掘り進んだ先に直利(鉱脈)を掘り当てます。
明治2611月には本山抗(間かく3005)を貫通し、次に立抗で通洞抗(間かく3276)とも連絡するようになり備前楯山にむかって3抗から採鉱がすすめられました。これを機に、一つの集落として大いに栄えました。大正年間には、人口1万人余となりました。抗口、社宅や病院、学校、浴場、製錬所、選鉱所、浄水場、運動場などの跡が残っていて当時の人々の生活が伺えます。昭和29(1954)年に閉山となり、たちまちにして廃墟と化しました。今ではこの地に足を運ぶと当時の面影をしのぶことができます。 

 小滝抗橋 前.JPG

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足尾コース 素材 お勧めランチ ないとう食堂 ソースかつ丼

お勧めランチは、「ないとう食堂」のソースかつ丼です。

かつ3枚のシンプルスタイル!
ソースは、さらさら系でちょっと甘くてくせになります。さくさく衣も軽快で実にうまい。
足尾に来たら食べてもらいたいメニューの一つです。

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ソースかつ丼@¥750 テイクアウトも出来ます。

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ないとう食堂 栃木県日光市足尾町4430 TEL 0288-93-2455

足尾コース 素材 古河橋

 古河橋は、明治期に架設された道路用橋として、原位置に留めている極めて貴重な足尾銅山の誇れる産業遺産の1つです。
 明治18(1885)年古河橋の前身である木造の「直利橋」をかけるが、明治20(1887)年の松木大火で焼失しまし、これを教訓に燃えない橋として道路用鉄道(ワーレントラスト橋)が架設されました。
 ドイツ・ハーコート社製で明治23(1890)年 6月に着手しましたが同年8月22日に松木川が大洪水となるなどの被害の中、同年12月28日竣工させる突貫工事でした。 
形式は、鋼鉄製、木床版、単径間ボスとリング・ワーレントラス式 ピン結合  橋長48.5mで、上弦材にH形鋼を使用した珍しい形式です。

古河橋 正面.jpg

古河橋 横UP.jpg

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古河橋 ブランド.jpg

足尾コース 素材 間藤水力発電所

間藤水力発電所跡 (日光市指定史跡)

明治10年(1877)より足尾銅山を経営した古河市兵衛は、今までの銅山の動力源である、薪、木炭に代わるべきものとして、ドイツのジーメンス電気機械製造会社のヘルマン・ケスラー技師の勧めにより、はじめて水力発電にふみきり、明治23年(1890)12月、この地(上間藤)に原動所(水力発電所)を完成しました。この水力発電は日本で3番目のもので出力298㌔㍗(明治23年7月 下野麻紡積会社 鹿沼工場出力17㌔㍗ 同年10月 日本織物会社 桐生市織姫出力50㌔㍗に継ぐ )松木川上流(現在の足尾ダム下)と深沢川から用水の取入れを行なった。2,9kmの水桶はこの地の山頂の大鉄管に接続し、落水318mの水力によってトルビン式横水車を回転させた。4百馬力の400万馬力の電力は、直ちに揚水機(抗内排水)捲揚機(立抗ケージ用)抗内電車、電灯などに利用、銅山近代化を強力におしすすめる力となった。名残りをとどめる直径1mの鉄管の一部が上の平がけ下にあり、原動所はこの下の渡良瀬川原にあった。

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私のお勧め!「初めての足尾散策」 コース

「初めての足尾散策」コース   日帰りマイカープラン

足尾概要」 私のお勧め!「初めての足尾散策」.pdf

  足尾精錬所   →    龍蔵寺     →     古河橋 →
  (9:00~9:30)         (9:35~9:50)         (10:00~10:20)
DSCF0091.JPG   DSCF0102.JPG   CIMG1727.JPG 

間藤水力発電所跡 → 足尾歴史館  →     昼食  →   
  (10:30~10:50)    (11:00~12:00)   (お勧めレストランご紹介
CIMG1714.JPG   歴史館.jpg   tm_CIMG1964[1].jpg
                               大¥3
00 小¥200
                            12月~3月冬季休館


足尾銅山観光        →     小滝抗口跡        →   国民宿舎かじか荘
(13:30~14:30)              (14:50~15:00)         (15:20~16:00)
DSCF1282.JPG   DSCF0337.JPG kajika01[1].jpg
                       庚申の湯 日帰り入浴
¥800 小¥500                                                     600 小¥300

車で★日光市内から国道119・122号で25km 約30分
  ★鬼怒川温泉から国道121号で15 km日光宇都宮有料道 (今市IC~
   清滝IC11km)清滝IC~国道122号で20km 約65分
  ★桐生市内から国道122号で約45km 約60分
※道路の混雑状況で所要時間が延びます。あくまでも目安として参考にしてください。
 
紅葉シーズンの日光の通過時間が影響します。 

 足尾マップ 初めての足尾散策.pdf

足尾マップ 初めての足尾散策.jpg 

2007年12月22日

セットの柄は鎌柄(かまつか)

セットと聞いてもピンと来ない方が多いとおもいます。 
セットとは槌(つち)の事です。ドイツ語のマーセットが変化してセットにったとか?
江戸時代抗夫は、鑿(のみ)と槌(つち)を使い「狸掘法」などで、露頭(地表に出ている黄銅鉱)を掘っていき銅品位の高い鉱石だけを掘り取って叺(かます)に入れて運び出していたそうです。

そのセットの柄に使用されていた木材が「鎌柄」(カマツカ)別名「ウシコロシ」
この木の枝が柔軟なので牛の鼻輪にすることによるそうです。また,カマツカというのは,枝を鎌の柄にすることから名付けられた名のようです。抗夫が柄に使用された理由も、狭い坑道の中でセットを振り上げ鑿(のみ)を叩く際に、鎌柄の柔軟な性質が採掘の効率を上げたそうです。
各地の山野に普通に生える高さ 5 ~ 8 メートルの落葉低木です。枝の先に複散房花序が出て,直径 8,9 ミリの小さな 5 弁の白い花が集まって咲きます。 
後日、山で探して撮影してきます。

2007年12月25日

庚申山碑(こうしんざんひ)

足尾市街、足尾バイパスから桐生方面、切幹(ぎりみき)を、小滝方面に右折するとすぐに庚申山碑があります。足尾最大の石碑で高さ4m10cm、幅1m70cmあります。
庚申講(こうしんこう)の江戸講中の人たち23人と、足尾宿の頭取、福田真右衛門の寄進によって、慶応元(1865)年に建立されたもので、書は松翁、石工は、日光町(旧日光市)の八十平の作です。
庚申講とは、江戸時代に盛んになった信仰「庚申待(こうしんまち)」のことで、足尾では、比較的銅山に縁の薄い、唐風呂(からふろ)地区や餅が瀬(もちがせ)地区で庚申講が残っています。

庚申山 碑 看板2.jpg

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2007年12月26日

宇都野火薬庫

火薬庫は、明治42(1909)年に宇都野(うつの)につくられました。
レンガ造り1棟、御影石(みかげいし)造り3棟あり、その他にレンガ造りの雷管庫があります。
えのきどいちろう氏 足尾のご案内 火薬庫跡でご紹介したのは雷管庫のようです。
足尾銅山跡 国史跡指定 下野新聞11月17日掲載で紹介しました、宇都野火薬庫は国の史跡に登録されました。

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レンガ造り火薬庫

火薬庫 レンガ横左2.jpg

レンガ造り火薬庫

火薬庫 みかげ石 1.jpg

御影石造り

花柄の専徳寺跡

花柄(はながら)地区のはずれに専徳寺跡(せんとくじあと)があります。
銅山最盛期には、商店や料理屋が軒を連ね、とても賑やかだった地区です。
そこに専徳寺がありました。戦時中、強制連行され抗内外の労働に従事し亡くなった捕虜の遺骨が一時納骨されていました。
終戦直後の昭和20年(1945)年10月、亡くなられた方々の慰霊祭もこのお寺で行なわれました。
昭和29(1954)年、小滝の銅山社宅撤収とともに、お寺もなくなりました。

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2007年12月27日

旧小滝火薬庫跡と削岩機試掘跡

この大きな岩は、通称「燕岩(つばめいわ)」と呼ばれ、その中ほどに刳り貫かれたところがあり、これは昔、小滝抗内で使う火薬を一時貯蔵していた所です。さらに火薬庫の右奥には、削岩機の試し操作のをしてあけた孔が残っています。

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小滝の小滝

「小滝」の地名のの由来になった滝です。
象岩の大曲という大カーブの下です。    

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小滝抗跡

小滝にいって来ました。 小滝抗跡で紹介しましたが、冬は草木が枯れているので木々で隠れていた遺跡が顔を出してくれる絶好の季節でもあります。

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夏は、生い茂る葉で全く見えませんでした。

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枯れた木が、なにか物悲しさをあおります。

2007年12月28日

近代化産業遺産に認定されました。 広報日光1月号に掲載。

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11月30日(金)に横浜市で開催された「地域活性化のための近代化産業遺産保存・活用シンポジウム」。このシンポジウムで、日光金谷ホテルを中心とした日光観光関連遺産群と、足尾銅山関連遺産群などに、経済産業省から近代化産業遺産認定証が授与されました。
この事業は、地域における産業や技術発展の歴史などを象徴する優れた産業遺産を選定し、近代化産業遺産として認定するというものです。
選定にあたっては、まず、幕末から戦前にかけての先人の歩みを象徴する産業遺産が募集されました。この公募に応募のあった全国の産業遺産などは、専門家で構成される産業遺産活用委員会で事実確認などが行なわれ、取りまとめられました。最終的には、各地域に点在する約450ヵ所について、それらを関連づける枠組みが地域史・産業史を軸に33のストーリー(物語)にまとめられました。市内では、「外貨獲得と近代日本の国際化に貢献した観光産業草創期の歩みを物語る近代化産業遺産群」というストーリーの構成遺産に、日光金谷ホテルや旧大名ホテル(日光総合支所)、JR日光駅など5件が、「銅輸出などによる近代化への貢献と公害対策への取り組みに見る足尾銅山の歩みを物語る近代化産業遺産群」というストーリーの構成遺産に、古河掛水倶楽部や現在足尾銅山観光として活用されている通洞抗など22件が認定されました。

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2007年12月29日

出川橋梁

大正三年(1914)8月26日開通 橋長54.82m
本山出川と町道を跨ぐ橋梁で第二松木川橋と同じく主橋は九州鉄道から払い下げを受けた橋梁です。
当時の施工写真

出川橋梁 建設.jpg

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2007年12月31日

出川橋梁の現在の写真

出川橋梁は、大正三年(1914)8月26日開通 橋長54.82m
本山出川と町道を跨ぐ橋梁で第二松木川橋と同じく主橋は九州鉄道から払い下げを受けた橋梁です。

現在の写真

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出川橋梁 3縦.jpg

出川橋梁 4縦.jpg

2008年01月06日

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 33面

郷土の足跡 世界に発信 「足尾銅山」「足利学校」

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世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-1

足尾銅山 宇都野火薬庫

宇都野火薬庫 世界遺産 県内2候補1.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-2

足尾鉄道 本山駅

足尾鉄道本山駅 世界遺産 県内2候補2.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-3

通洞抗

通洞抗 世界遺産 県内2候補3.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-4

古河橋

古河橋 世界遺産 県内2候補4.jpg

世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-5

足尾銅山とは 地図「MAP」

足尾マップ 世界遺産 県内2候補5.jpg

2008年01月17日

大正~昭和期に使用したカメラ「1」

当写真館で使用したカメラ 年代ものだがカメラのメーカーが分からない。
移動してみたが台車も動いた。

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大正~昭和期に使用したカメラ「2」

レンズはXenar(クスナー製)
他にレンズがTesser(テッサー)とダルメーヤが残っている。

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エアーレリーズ(シャッター)が見あたらなかった。

明治後期~昭和初期使用 カメラ+レンズ2.jpg

撮影者がレンズに映り込んでいるが見逃して欲しい。

大正~昭和期に使用したカメラ「3」

蛇腹がテープで補強されているのが残念です。

明治後期~昭和初期使用 カメラ3.jpg

明治後期~昭和初期使用 カメラ4.jpg

大正~昭和期に使用したカメラ「4」

シャッターも開閉しました。エアーレリーズがあれば撮影できるかも・・・

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エアーレリーズとシャッターをつなぐパイプが破損してます。(どうにかなるかな)
シャッター用のバネも交換したほうがよさそうですね!
撮影にむけ行動開始します。
いつになるか分かりませんが、撮影写真をUPします。

昭和30年に撮影した乾板(ガラスのネガ)が見つかりました。

サイズは4切サイズ(横30.5×楯25.4)×2枚

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上記は、通洞病院での撮影 昭和28年頃 撮影

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栃木県立足尾高等学校 昭和30年撮影

2008年01月22日

本山鉱山神社(明治23年)建築献金と古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資①

本山鉱山神社(明治23年)建築献金3279円53銭と古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資2万円

本山鉱山神社(明治23年)建築献金3279円53銭①

社殿建築献金の碑 http://nikko-spot.com/blog/2007/12/post_546.htmlに3代鉱長 木村長七(きむら ちょうしち)の金500円をはじめ役員や抗夫頭外抗夫一同など、本山抗のあらゆる職種の人達が献金をし、その総額は、3,27953銭にも達した。抗夫の日当は下記鉱夫等級賃金表を見るに、男性で36~70銭で、当時は月に2日の休み、10~20円程度の収入であろう。当時の足尾銅山古河鉱業所の人員9964人との資料もあるので献金平均の算出できるが全くあてにならないであろう、けして豊であったと思えない生活をおくっていた抗夫の本山鉱山神社への献金に、足尾銅山黎明期の活気と心意気がうかがえる。

復刻版 足尾銅山図会 鉱夫等級賃金表(明治25~34年毎月2回発行)

鉱夫等級賃金表「支柱夫~女工」

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本山鉱山神社(明治23年)建築献金と古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資②

古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資②

江戸幕府から明治にうつり、政府は産出量を増やすために鉱山のすべてを官営にしましたが、足尾銅山においては、産出量が伸びない為に明治5年、民営移行の方針が出されます。多くの銅山師が挑戦したそうですが大きな成果はあがりませんでした。

古河市兵衛のもとに足尾銅山譲渡の話が持込まれたのは明治9年の末だそうです。
 
廃山同然でだったこの鉱山を譲り受けることについては古河家のなかにも反対意見が多かったそうですが、市兵衛は反対を押し切って、2万円あまりの大金を支払って入手ました。明治10年のことです。その際、草倉鉱山の成功あり相馬家からの出資し、明治13年からは渋沢栄一も参加しての三者による共同経営となりました。

 

当時2万円とは、抗夫の日当36~70銭 平均の50銭×28日(実働)=14円×12月=年168円です。1りの五等抗夫が日当50銭かせで120年飲まずくわずで稼せぐ金額であります。
当時抗夫の手当ては、厳しい労働条件、落盤の危険、鉱山特有の病気などの理由により、非常に良かったと聞いています。現在の価値にすると月40~50万円位と換算すると、当時の2万円は約6~7億円となります。

古河市兵衛の鉱山事業成功の鍵は、ひとつにはその巧みな人脈づくりにありました。特に陸奥宗光や渋沢栄一からは、会社運営・資金調達、新技術の情報、人材の採用・活用などの面で強力なサポートを受けています。

復刻版 足尾銅山図会 鉱夫等級賃金表「機械職~女工」

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2008年01月31日

広報にっこう 2008年2月号 足尾銅山を世界へ

今月から3回にわたり、足尾銅山の世界遺産にむけた構成資産を紹介していくそうです。

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広報にっこう 2008年2月号 足尾銅山を世界へ no.2

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2008年02月06日

「足尾銅山を世界遺産に」日光市が登録推進室設置へ

「足尾銅山を世界遺産に」日光市が登録推進室設置へ 下野新聞掲載2月6日

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暫定リスト入りを視野に入れ推進室設置、期待がたかまります。
一方、観光の視点から町のハードやソフト面を考えてみると未開発の分野だらけです。
この機会を大きなチャンスと捉え、「従来型観光地」から脱皮した、新たな街「足尾」を共に模索したいです。

足尾地域の振興支援へ 古河が5000万円市に寄付

足尾地域の振興支援へ 古河が5000万円市に寄付 下野新聞掲載2月6日

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足尾の歴史=古河の歴史といっても過言ではありません。
世界遺産登録へ向けた働きがけが、街と企業を結びつけ、共に足尾の未来を語るタイミングがおとづれているんですね。
街と市民とが、将来の足尾の街を考え、こんな街にしようと共有し、優先順位をつけて貴重な寄付を利用してもらいたいと考えます。

2008年02月28日

足尾の魅力を紹介 下野新聞掲載

「足尾の魅力を紹介」で足尾の「わがまち自慢事業」の補助を受けて立ち上がった「足尾ガイド養成講座」の紹介です。
地域の方々や、他県の方々まで熱心に足尾を語る様子は、なんとも誇らしく見えます。
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2008年03月11日

銅copper&brass で足尾銅山が紹介されています。

(社)日本銅センターが発行している銅copper&brass no.165で「足尾銅山」世界遺産へ第一歩と題し紹介されています。

足尾銅山の世界遺産に向けてのコンセプト
・民間鉱山として日本の近代化を牽引したこと。
・社会問題化した公害。
・世界各国に普及した公害防除技術の開発

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2008年03月14日

足尾銅山を世界遺産へ にっこう広報3月号 掲載 no.1

「足尾銅山を世界遺産へ」  にっこう広報3月号に掲載されました。NO.1

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足尾銅山を世界遺産へ にっこう広報3月号 掲載 no.2

「足尾銅山を世界遺産へ」  にっこう広報3月号に掲載されました。NO.2

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2008年03月23日

足尾のポスター 「環境学習のまち 足尾」 

足尾の新しいポスターを紹介します。
「環境学習のまち 足尾」 
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足尾のポスター 「産業遺産のまち 足尾」

足尾の新しいポスターを紹介します。
「産業遺産のまち 足尾」
Kさんが徹夜でデザインしたとの情報です、ご苦労様です。
いいデザインですね!
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2008年03月29日

トロッコ博物館開設へ出発進行「下野新聞3月25日」

 かつての足尾の町を走ったガソリンカーなどの「トロッコ」を展示し往時の活躍ぶりを知ってもらおうと、廃車両の保存などを手がける足尾町松原のけいてつ協会と特定非営利活動法人足尾歴史館は、今夏にも「あしおトロッコ鉄道博物館準備室」を同館内に設置する。
ディーゼル機関車は、四月開催の通洞駅祭りから一般に披露される。
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2008年04月01日

2008通洞駅祭りのお知らせ

下野新聞の3月30日に、とちぎローカル線の旅「RALL TRIP」に「2008通洞駅祭り」の掲載がありました。2008年4月26日(土)27日(日)の二日間開催するそうです。
ぜひわたらせ渓谷鉄道に乗って足尾に来てください。ローカル×ローカルな演出が期待できます。

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古河、足尾振興に寄付!日光は基金設立

 足尾地域の振興を目的に5000万円を市に寄付することを申し出ていた古河機械金属による寄付金の贈呈式が3月31日、日光市役所で行われました。

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2008年04月08日

アノード板を運んだボンネットトラックの写真

アノード板を運んだボンネットトラックの写真です。NO.1
昭和30年代あたりだろうか・・・・後日詳しく調べてみる。
ボンネットやナンバーの雰囲気がいい。
運転手の気質も伝わってくる。

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アノード板を運んだボンネットトラックの写真.2

アノード板を運んだボンネットトラックの写真 no.2
100kgを超えるアノード板(粗銅)を何枚積んで運んだのであろうか。

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特集「足尾銅山」 観光文化VOL.188

財団法人 日本交通公社が発行している観光文化VOL.188「2008年3月」号の特集に「足尾銅山」!
”その歴史に学び保存活用を期する”
巻頭言
・足尾の紅葉 立松和平1P

特集
・足尾銅山、世界遺産登録への道 永井 護 2P
・足尾銅山と近代技術 鈴木 淳 6P
・自分史の中の足尾銅山 小野崎 敏 10P
・足尾銅山緑化の歩みー取り組みの歴史、現状と展望 神山 秀昭 14P

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世界遺産登録を目指し、足尾の志すところを学べる。沢山の人に読んでもらいたい。

2008年04月13日

足尾のイベント「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」

 今度のテーマは、ズバリ!!トロッコ列車です。第一のトロッコ列車はご存知、わたらせ渓谷鐵道の「トロッコわたらせ渓谷号」。第二のトロッコ列車は足尾銅山観光の坑道見学用の珍しいラックレール式(勾配用)トロッコ列車。第三のトロッコ列車は、新しく登場する足尾歴史館の「足尾ガソリン軌道・歴史館線」のトロッコ列車となります。
 この「足尾ガソリン軌道・歴史館線」では、珍しい軌間610mmのナローゲージ、加藤製作所製4トンディーゼル機関車を個人の方から借り受け動態保存運転を行います。
 また、古きよき“昭和の香りの残る足尾”という地域を知って頂こうと思っております。さらに、素晴らしい沿線風景を誇るわたらせ渓谷鐵道のことを多くの人々に知って頂きたいという願いも、このお祭りのテーマとなっております。

(詳細内容)
■場 所■
わたらせ渓谷鐵道通洞駅と周辺の街界隈ほか
足尾歴史館と足尾銅山観光
■開催日■
平成20年4月26日(土曜日)・27日(日曜日)の2日間
■開催時間■
10:00〜16:00
■開催内容予定■
わたらせ渓谷鐵道直営のグッズ販売
沿線と地元住民によるお宝!?あおぞら市場開催
足尾歴史館にて…第3のトロッコ鉄道開業と鉄道模型&おもちゃ運転会
通洞駅周辺の協力店舗による大セール
足尾銅山観光の素晴らしいトロッコ列車による坑道観光
駅前広場のミニコンサート
その他盛りだくさん!!来ないとわからない秘密の内容?
■ご注意■
※駐車場はありませんので、わたらせ渓谷鐵道をご利用ください。
※JR日光駅・東武日光駅⇔通洞駅前間の日光市営バスもあります
(1日4往復片道約40分要問合せTEL:0288-93-3113)
※足尾歴史館と足尾銅山観光には別途入場料が必要となります。

協賛: NPO足尾歴史館・わたらせ渓谷鐵道・足尾観光協会・足尾町商工会
協力:JR東日本大宮支社・東武鉄道・古河機械金属
・わたらせ渓谷鐵道市民協議会・国民宿舎かじか荘
・せんろ商会&けいてつ協会ほか沿線住民の皆様
後援: 日光市

★お問合せ先★
足尾・駅祭実行委員会(わたらせ渓谷鐵道市民協議会会員)
事務局:NPO足尾歴史館
〒321-1523栃木県日光市足尾町松原2825
TEL/FAX:0288-93-0189
http://senro.na.coocan.jp/tudomatu.htm

2008年04月16日

足尾町商工会青年部 オリジナル商品開発

足尾町商工会青年部でオリジナル商品を開発しようという動きが出てきました。
足尾オリジナルな商品開発が始動・・・・

メンバーのH君は、かなり手先が器用で革製品なんてお手のものです。
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かなりのクオリティーです。
この辺にヒントがあるかな・・・・・。
オリジナルな商品開発のポイントゲッターに期待がかかる。

わたらせアートプロジェクト(WAP)2008

わたらせアートプロジェクト(WAP)2008の渡良瀬社宅の下見に合流しました。2008年4月13日

WAPの活動は、http://www.ashiodozan.com/rekisi_art/art/indx.htmlでWAP2007を紹介しています。

今年も夏休みの期間、わたらせ渓谷鉄道沿線で繰り広げられる、アート活動にむけて着々と準備が進められているようです。
夏は沢山のイベントが行われますが、是非日光に来る際には、足尾銅山の歴史とWAPのプロジェクトもコースに入れてほしいです。
メンバーに会うのは久しぶりです。懐かしいかおぶれも多数でなぜか安心しました。
今年もがんばってください。応援してます。
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今年「WAP2008」の活動がブログで紹介されています。ご覧になって見に行きたくなってください。

2008年04月21日

足尾ガイドの養成講座の「たまご」さんに遭遇

足尾ガイドの養成講座の「たまご」さんに遭遇しました。
将来の為に、無料でガイド案内だそうです。
積極的にアプローチをかけ、お客さんとコミュニケーションをとっている風景は、これからの足尾の力強さを感じました。
なんか皆さん楽しんでいるのが良いムードですね!

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足尾オリジナル商品への道

サンプル商品!
ここにまさかの足尾テイストを盛り込んでいく予定です。
なんて現在・・・試行錯誤・・・・奮闘・・・中です。

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足尾の春の贈り物

足尾の春の贈り物です。
たらの芽は天ぷらにしました。(5人家族で各一人一個)少なすぎです・・・・・

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山椒はすって味噌と和えていただきました。

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2008年04月27日

「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」開催

「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」平成20年4月26日(土曜日)・27日(日曜日)の2日間にわたり開催される「足尾」発のイベントです。足尾商工会青年部も「山椒うどん」「ヨモギうどん」販売などで参加します。都合により私は準備だけの参加になりましたが、イベントの盛り上がりに期待しています。
新たな足尾歴史館の魅力「トロッコ列車」(足尾ガソリン軌道・歴史館線)の画像をUPします。

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本日(4月27日)は最終日、沢山の方のお越しを心待ちにしています。

2008年04月30日

「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」終了しました。

「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」無事終了しました。

実行委員の方々お疲れ様でした。「集客の面が厳しかった。」との事ですが、毎年つづけて認知度を広め大きなイベントになることを応援しています。
商工会青年部は「山椒うどん」で参加しましたが、あまりお手伝いできなくて申し訳ありませんでした。

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足尾歴史館のトロッコブースには、鉄道ファンにはたまらない商品が沢山販売されていました。

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2008年05月02日

通洞駅で金庫を発見

通洞駅で古い金庫が置かれていました。
大正生まれの「通洞駅」にマッチする雰囲気ですね!
かっこいいので撮ってきました。

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足尾オリジナル商品への道「足字銭」

足尾オリジナル商品へ欠かせない「足字銭」が着実に増えてきました。
この「足字銭」の渋さを生かしたい。

実はまだまだ奮闘・・・中です。

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2008年05月04日

「足尾祭」 懐かしい・・・

「足尾祭」が終了しました。
仕事の関係で1日中見る事は出来ませんが、お昼頃に足尾銅山観光の駐車場に山車が集まります。
その時とばかりに仕事を少し抜け出して見学。
小学生の頃オカメを踊った記憶と、お囃子の音色が心地よい懐かしさを蘇らせます。
現時人口が減って各自治体の山車の数が激減していることと、これからも減ってしまう恐れがあるとの事で、祭そのものの存在が危機的状況・・・・・・・。
残さなければならない覚悟を大人が持たなければならないという事でしょう。

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2008年06月08日

足尾における日本初の技術

足尾歴史館のパンフレットが新しく変わりました。

足尾における日本初の技術が紹介されています。リストの内容は、多くの方に知っていただきたい情報であり、私も再認識し誇りに思いたい内容です。

◆◆◆足尾における日本初の技術◆◆◆

 技術・文化名    発足年            説明      所在場所
①銅山電話架設   1886年5月(明治19) エジソン式     掛水

  技術・文化名    発足年               説明                所在場所
②水力発電所 1890年12月(明治23) 足尾銅山の産業革命の始まり    上間藤

  技術・文化名    発足年 説明 所在場所
③索道 1890年12月(明治23) 足尾銅山の輸送力増大 各地区
(貨物用ロープウェイ)

  技術・文化名    発足年               説明           所在場所
④鉄橋「古河橋」 1890年11月(明治23) 火に強く頑丈な橋 赤倉

  技術・文化名    発足             説明              所在場所
⑤水套式溶鉱炉 1890年11月(明治23) 足尾銅山の溶鉱量の増大 本山

  技術・文化名    発足年           説明               所在場所
⑥電気鉄道 1891年(明治24) 足尾銅山の輸送力増大 本山抗

  技術・文化名    発足年           説明               所在場所
⑦足尾式削岩機 1914年頃(大正3) 手持ち式の小型 下間藤

  技術・文化名    発足年           説明             所在場所
⑧電気集塵器 1915年(大正4)  排煙除害 本山

  技術・文化名    発足年            説明             所在場所
⑨電動のこぎり 1924年頃(大正13)    製材所用   銀山平

  技術・文化名    発足年            説明           所在場所
⑩自熔製錬法 1956年(昭和31) 無燃料、コークス、石炭、    本山
                         電気不要,無公害

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2008年06月13日

講話:足尾銅山の公害対策の歴史 講師 古河機械金属㈱ 幸崎雅弥氏

足尾銅山の世界遺産登録を推進する会の平成20年度総会が開催さます。 
総会後の勉強会では、「足尾銅山の公害対策の歴史」と題して古河機械金属㈱執行役員環境保安管理部長 幸崎雅弥氏が講話されます。 これからの足尾について考える良い機会だと考えます。
 日時  平成20年6月14日(土) 講話開始時間 午後2時40分頃
 場所  足尾町 銅ふれあい館

2008年06月20日

足尾歴史館にトロッコ鉄道を復元

足尾歴史館にトロッコ鉄道を復元 
足尾のイベント「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」で登場したトロッコが、毎月、足尾歴史館で、第1日曜日に運行する予定。 「1周約170メートル」
詳しくは、足尾歴史館
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足尾の新たな楽しみが増える事に、期待が高まる。

2008年06月26日

中宮祠・足尾間道路建設促進期成同盟会 平成20年度通常総会開催

去る6月25日(水),日光市日光総合会館において,斉藤同盟会長(日光市長)の挨拶後、総会が行われ、中宮祠・足尾間の早期整備をめざし栃木県及び関係機関との密接な連絡はかり、必要な調査を行い、県への要望活動をする事業を行うことが決議された。

 同盟会は中宮祠・足尾間の道路を建設し、日光地区の交通渋滞の緩和に資するとともに、日光広域圏の振興発展を図ることを目的としている。

2008年06月29日

田中正造展 予は下野の百姓なり(下野新聞創刊130周年記念企画展)

ー新聞で見る、民衆政治家 田中正造ー

期日 平成20年7月19日(土)~8月31日(日)  場所 栃木県立博物館

会館時間 午前9時30分~午後5時

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今年に入り下野新聞記事で「田中正造」について掲載されてきました。

見逃したかたも、足尾と切り離せない人物でもあり学ぶべきことがたくさん発見できるだろうと楽しみにしています

2008年07月03日

足尾鉄道の一世紀「写真集」 発売中

足尾鉄道の一世紀「写真集」が7月下旬に発売しました。

大正元年12月31日、大晦日の日に、足尾鉄道の桐生駅~足尾駅間がようやく開通した。

鉄道史敷設にかけた銅山王・古河市兵衛の夢は、実現までに24年もの歳月を必要としたのである。

そして、一世紀。

現実の「わたらせ渓谷鉄道」にいたる歴史を「近代産業遺産」と地域の視点からたどる。

●収録図版181点、挿図類14点。

●他に表3点、地図、年表、参考文献

●編著 書=小野崎敏

川嶋信行

古美門由佳一郎

●版型=A4変形〔297×225mm〕 189ページ、オール2色印刷

●定価=3990円「本体3800円+税」

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2008年07月23日

ワタラセ アート プロジェクト ワークショップウィーク「はなわ」

足尾で開催され、3年目を迎えるワタラセ アート プロジェクト (WAP)2008も8月を目の前にしてかなり盛り上がってきているようです。

2008年度の企画”ワークショップウィーク「はなわ」”

<教室いっぱいの夏のおもいでをつくろう!>

中学生以下のお子さんを対象とした造形教室です。6日間で7つの講座で開催です。

場所 : 旧花輪小学校記念館(群馬県みどり市東町花輪)

期間 : 8月18日(月)~8月23日(土)

時間 : 13:00~16:00

料金 : @¥100(保険料です。)

※要予約:8/10まで受付中です。

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2008年07月24日

ワタラセアートプロジェクト 舞踏パフォーマンス「鉄道舞踏ハナノハラハラ」

ワタラセアートプロジェクト2008 が主催する、8/31わたらせ渓谷鉄道を車両貸切で行われる舞踏パフォーマンス「鉄道舞踏ハナノハラハラ」

かつて足尾銅山へと続いていた「わたらせ渓谷鉄道」の1車両を借り切り、この日限り、二度とない幻の列車が走ります。

<日時>8月31日(日) 雨天決行

12:16大間々発/13:27間藤(終点駅)

<料金>@¥1500(大間々駅~間藤駅間 乗車券+観覧料)要予約

<受付場所>わたらせ渓谷鉄道 大間々駅改札

<乗車受付>11:40~12:10

詳しくは、ワタラセ アート プロジェクト2008 HPでご確認ください。

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舞踏家の吉本大輔氏がWAP2008に参加!

わたらせ渓谷鉄道を舞台にどんなパホーマンスが見られるのか楽しみです。

それと60を過ぎてもあの肉体、生で見てみたい理由の1つでもあります。


2008年07月27日

日光市第2回 足尾石切節 全国大会

日光市が合併して第2回目となる「足尾石切節」全国大会がかいさいされる。

昨年第1回目の「足尾石刀節」全国大会がは、平成19年8月19日が開催されました。

参加エントリー188名が石刀節を熱唱しましが、本年度はどのくらいの参加者が自慢の歌声を奏でるのか楽しみです。

日時 : 平成20年8月17日(日)AM9:30開始
場所 : 日光市足尾市民センター
主催 : 足尾石切節全国大会実行委員会

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足尾石刀(せっと)節コンクール 復活のストーリー!

石刀節は、採掘作業の際に生まれた民謡で、足尾銅山の坑夫が、つらさや孤独感を慰めるために歌ったものが、足尾石刀節。昭和48年の閉山と共に、足尾石刀節も消えつつありました。。そんな時に、民謡歌手の岡田貢峰さんが、民謡のコンクールで全国一に輝いた事をきっかけに、「足尾石刀節を日本一にする会」ができ、これまで10年にわたり、コンクールを行なってきました。しかし、赤字続きだった事もあり、市町村合併を機に、昨年7月で終了してしました。しかし、有志により千人以上の署名を集め、2007年第一回を開催する事にりました。


日光の観光スポット足尾歴史を案内する写真館四代目のブログ
2007年第一回 足尾石刀節 全国大会

2008年08月22日

アーネスト・サトウ(ERNEST SATO)と足尾銅山

アーネスト・サトウ(ERNEST SATO) 幕末から明治期にかけて日本の近代化に多大なな貢献をした英国の外交官。 日本の近代化に西洋文明を丸ごと導入することを提案し、日本政府はそれを採用することになり、鉱山における近代化のモデルのひとつになったのが足尾銅山である。

明治19年の夏、サトウが足尾に来て当時の政財界の著名人と会合した記録がある。 足尾で会った人物は古河市兵衛が招待した陸奥宗光、後藤象二郎、渋沢栄一ら一行であった。

陸奥宗光は明治政府の高官の中で欧化論者であり近代化推進派の先達であったのはサトウとの交流によるものかもしれない。 陸奥の次男、潤吉は後に古河市兵衛の養子になり米国に留学し近代経営者として会社を引き継いだ。

サトウは1843年にロンドンで生まれで1862年(文久2年)、19歳の時に来日し英国公使館の日本語通訳生となり明治2年に一時帰国、明治5年から明治15年までパークス公使の書記官となる。 その後、外国の任地を経て明治28年から33年までの6年間、日本公使の要職を務めた。 公的業務のかたわら日本の自然、地理、歴史、文化を欧米の人々にむかって紹介すると共に、日本近代化の導き役をつとめた。

彼は文筆家としても知られ、日本に関する著作を数多く残した。 中でも「一外交官の見た明示維新」は現在でも刊行されている。 またサトウは日本の別荘地開発や登山の先達で、特に日光中膳寺湖畔に英国公使館の別荘を創設し、それ以降、各国の大使館が湖畔に別荘を造り、夏の外交は日光で行はれた時期があったと言はれている。

2008年09月05日

足尾の夏 直利音頭の歌詞を紹介

【直 利 音 頭】

ハア 私しや足尾の (ハヨイヨイト)

坑夫の女房 サア しきを恐がる

チョイトサ 子は産まぬ

ハア 主は足尾の (ハヨイヨイト)

金堀大工 サア 直利出すよに

チョイトサ 願かける

ハア 高い煙突 (ハヨイヨイト)

アリヤ製錬所 サア 汽車は出て行く

チョイトサ 金積んで

        

ハア 浮世苦労は (ハヨイヨイト)

渡良瀬川の サア 水に流して

チョイトサ 共稼ぎ

ハア 花の渡良瀬(ハヨイヨイト)

青葉の小滝 サア 月の眺めは

チョイトサ 備前楯

今まで何気なく「直利音頭」の歌詞を口ずさんでいましたが、改めて歌詞を見たのは初めてです。

驚いたのは、歌詞が5番まであること、そして「抗夫の女房」の歌詞であることですね。

当時のまちの喧騒が思いうかびますね。

2008年09月08日

「豊潤洞」のパンフレット1 昭和4年に足尾に移築された

柏木平にある豊潤洞は、もと明治の元勲、陸奥宗光の大磯にあった別荘です。

詳しくは、昭和4年(1929) 豊潤洞移築される。

豊潤堂が「山荘 豊潤堂」とし、一丸旅館の運営により宿泊施設として利用されていた時代のパンフレットを見つけました。

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パンフレットより

どこの温泉も最近は俗化されて本当の旅心にとけこめません.′

足尾の町の山奥をたずねてゆけば豊潤洞が待っています……

新しい憩のふる里を発見して、身も心もはづみます。


私が物心ついた時には、館の傷みもかなり進んでいました。出来るなら時代をこえて泊まって見たかった!

「豊潤洞」のパンフレット2 昭和4年に足尾に移築された

柏木平にある豊潤洞は、もと明治の元勲、陸奥宗光の大磯にあった別荘です。

詳しくは、昭和4年(1929) 豊潤洞移築される。

豊潤堂が「山荘 豊潤堂」とし、一丸旅館の運営により宿泊施設として利用されていた時代のパンフレットを見つけました。

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パンフレットより

慈悲減じ、鳥の啼く清閑な渓嬢にある、萱ぶき屋根の大きな邸宅が豊潤洞す。

もと明治の元勳陸奥宗光の別邸で湘南大磯でにあったものです。当時の内閣々僚の往

来繁度の揚でもあった。条約改正、下関講和条約の草案はこの一室から生まれました。

昭和初年解体しで足尾に運ばれ、柏木平の森に原型のまま建てられたものです。

藁ぶき屋根のしっとりした豊潤洞には心を傾けて掬む何かが存在いたします。

皆様の御来遊をお待ち申上げます。

「豊潤洞」のパンフレット3 昭和4年に足尾に移築された

柏木平にある豊潤洞は、もと明治の元勲、陸奥宗光の大磯にあった別荘です。

詳しくは、昭和4年(1929) 豊潤洞移築される。

豊潤堂が「山荘 豊潤堂」とし、一丸旅館の運営により宿泊施設として利用されていた時代のパンフレットを見つけました。

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パンフレットより

庭園 3000坪

収容人数 50名

浴室完備 総檜風呂

※団体様の場合ご予算に応じご相談申し上げます。

ご宿泊料金(税・サービス料込み) 1名様1泊2食付 1800円以上

かなりのおてごろな料金だったと聞いています。

歴史的価値のある「豊潤堂」が宿泊

施設として活用されていた事にも驚きました。

泊まってみたかったと改めてため息がでます。

※豊潤堂の資料が少ない中、T様ありがとうございます。

2009年12月27日

足尾銅山発見の謎 -「治部と内蔵」の真相をもとめて

足尾のガイドの一人、池野亮子さんが、本を出版されました。
足尾銅山発見時の謎が解明されていきます。
ぜひ読んで足尾銅山発見の謎!真相にふれて下さい。

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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
池野 亮子
昭和27年、栃木県日光市足尾町に生まれる。千葉県習志野市の東邦大学附属中学・高校から、埼玉県越谷市の立正女子大学教育学部(現・文教大学)へ進む。平成14年、足尾町教育委員会主催の「ふるさとあしお歴史セミナー」を受講。ふるさとあしお歴史セミナー自主研究会で「足尾銅山百選産業遺産保存活用の手引き」作成。足尾歴史館立ち上げに尽力、ボランティアガイドを務める。現在、聖徳大学短期大学部通信教育部司書課程在籍。NPO法人足尾に緑を育てる会の事務局を手伝いながら、近世を含めた郷土史研究として足尾の歴史研究に励む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

取扱書店:足尾町大野書店0288-93-2165・緑を育てる会0288-93-2180・足尾観光協会0288-93-3147

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足尾銅山発見の謎 -「治部と内蔵」の真相をもとめて
「豊潤洞」のパンフレット3 昭和4年に足尾に移築された
「豊潤洞」のパンフレット2 昭和4年に足尾に移築された
「豊潤洞」のパンフレット1 昭和4年に足尾に移築された
足尾の夏 直利音頭の歌詞を紹介
アーネスト・サトウ(ERNEST SATO)と足尾銅山
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ワタラセアートプロジェクト 舞踏パフォーマンス「鉄道舞踏ハナノハラハラ」
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足尾における日本初の技術
「足尾祭」 懐かしい・・・
足尾オリジナル商品への道「足字銭」
通洞駅で金庫を発見
「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」終了しました。
「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」開催
足尾の春の贈り物
04/22  たぬき
足尾オリジナル商品への道
足尾ガイドの養成講座の「たまご」さんに遭遇
わたらせアートプロジェクト(WAP)2008
04/23  上原かずみ
足尾町商工会青年部 オリジナル商品開発
足尾のイベント「通洞駅祭 わてつに乗って足尾へ行こう!!」
特集「足尾銅山」 観光文化VOL.188
アノード板を運んだボンネットトラックの写真.2
アノード板を運んだボンネットトラックの写真
古河、足尾振興に寄付!日光は基金設立
2008通洞駅祭りのお知らせ
トロッコ博物館開設へ出発進行「下野新聞3月25日」
足尾のポスター 「産業遺産のまち 足尾」
足尾のポスター 「環境学習のまち 足尾」 
足尾銅山を世界遺産へ にっこう広報3月号 掲載 no.2
足尾銅山を世界遺産へ にっこう広報3月号 掲載 no.1
銅copper&brass で足尾銅山が紹介されています。
足尾の魅力を紹介 下野新聞掲載
足尾地域の振興支援へ 古河が5000万円市に寄付
「足尾銅山を世界遺産に」日光市が登録推進室設置へ
広報にっこう 2008年2月号 足尾銅山を世界へ no.2
広報にっこう 2008年2月号 足尾銅山を世界へ
本山鉱山神社(明治23年)建築献金と古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資②
本山鉱山神社(明治23年)建築献金と古河市兵衛(明治10年)足尾銅山への投資①
昭和30年に撮影した乾板(ガラスのネガ)が見つかりました。
大正~昭和期に使用したカメラ「4」
大正~昭和期に使用したカメラ「3」
大正~昭和期に使用したカメラ「2」
大正~昭和期に使用したカメラ「1」
世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-5
世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-4
世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-3
世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-2
世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 38面-1
世界遺産登録目指す県内2候補 2008年1月1日掲載 33面
出川橋梁の現在の写真
出川橋梁
近代化産業遺産に認定されました。 広報日光1月号に掲載。
小滝抗跡
小滝の小滝
旧小滝火薬庫跡と削岩機試掘跡
花柄の専徳寺跡
宇都野火薬庫
庚申山碑(こうしんざんひ)
セットの柄は鎌柄(かまつか)
私のお勧め!「初めての足尾散策」 コース
足尾コース 素材 間藤水力発電所
足尾コース 素材 古河橋
足尾コース 素材 お勧めランチ ないとう食堂 ソースかつ丼
足尾コース 素材 小滝抗跡(日光市指定史跡)
足尾コース 素材 足尾歴史館
足尾コース 素材 足尾銅山観光
足尾コース 素材 龍蔵寺
足尾コース 素材 製錬所跡
足尾コース 素材 足尾概要
足尾出身・足尾にゆかりのある人物 伝説・歴史
足尾駅の結婚式に遭遇
有越索道塔
磐裂神社 御神木
磐裂神社 狛犬
磐裂神社 鈴
磐裂神社 本殿
磐裂神社 
軽便馬車鉄道橋台石積
片マンプ 「笠松隧道」
本山鉱山神社 敬神愛国の碑の紀元二千五百五十八年戊戌五月十二日建之について
観光マイスター制度検討と足尾銅山の世界遺産登録推進に職員配置 日光市議会一般質問 下野掲載
本山鉱山神社 に登ってきました。 途中の景
本山鉱山神社 に登ってきました。 敬神愛国の碑
本山鉱山神社 に登ってきました。 鉱山神社 グラウンドの横にて
本山鉱山神社 に登ってきました。 本堂の扉
本山鉱山神社 に登ってきました。 本堂の四隅の彫り物
本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。 狛犬
本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。 灯篭
本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。 社殿建築献金の碑
本山鉱山神社 本殿へ登って来ました。NO.1
「コーディエライト」
古河潤吉 趣味、嗜好  「顕微鏡的研究」と「鉱物薄片」
古河潤吉 趣味、嗜好 「本邦最始の自動車」
コークス 明治21年から製錬に使用
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  クライスラー・デソート
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  三輪トラック
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  ボンネットバス
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  8tディーゼル
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  10tディーゼル
足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~12月2日  15tディーゼル
「足尾銅山」近代化遺産に認定 下野新聞掲載12月1日掲載
「足尾駅祭2・0~ちょとレトロな撮影会~」 下野新聞掲載
足尾の映画館と劇場の推移
足尾、銅山町の芸能・娯楽文化
環境のまち、「足尾」
足尾の人口の移り変わり
足尾の沿革史
足尾で楽しむお泊りには
足尾みやげに足尾焼・銘品を
町をにぎわすまつり
足尾銅山を世界遺産に シンポジュウム 11月26日下野新聞掲載
足尾の民謡(石刀節・直利音頭)
足尾の伝説と民話
足尾と文学
足尾の鉄道の移り変わり
足尾銅山図絵「本絵」と「下絵」100年ぶり”再会” 下野掲載11月25日
馬車鉄道跡
銅街道(あかがね街道)
足尾に緑を育てる会
足尾環境学習センター
足尾ダムと銅(あかがね)親水公園
足尾に棲みついている動物と鳥類
足尾で見ることのできる主な植物
ロケ地として知られる足尾
備前楯山
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 大名峠海流の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 同上途中の図(銀山平)
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 銀山平の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 馬車鉄道貨物運搬の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 岩燕小滝の奇岩に図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 鉱山神社祭壇の景
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 倉庫に於て諸物品を交付するの図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 杉菜畑鉱山神社の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾所見風俗の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 電話交換所の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 輕便捲下斜面鐡道の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾町字間藤の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 簣子橋金山神社狛犬の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 大通洞の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 工作課鍜工場内の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 廻轉鑄型臺之図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 沈澱銅を似搏丸と為すの図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 泥鑛を壓搾して煉亙形に作るの図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 回轉手撰基臺の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 撰鑛所内部の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 第一舊式選鑛所の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 抗内見張所の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 本山抗内の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 銅鉄索にて山谷を超えて貨物を運搬する図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 銅鑛頂之図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 細尾村鉄索器機内部の図
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾銅山全図 
復刻版「風俗画報」第234号 足尾銅山図會 足尾銅山之景
復刻版「風俗画報」第234号 国書発行会 昭和51年9月10日
大正天皇陛下行幸、皇后陛下行啓の光栄
霊峰「庚申山」
自然あふれる足尾町
「銅山観光」見学コースのご案内
日本一の銅山観光
足尾歴史館
古河掛水倶楽部
小滝と「小滝の里」碑
渡良瀬橋
足尾の神社やお寺とキリスト教会
足尾の文化財
日本で初めて煙害を止めた製錬所
社宅とくらし
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P14
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P13
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P12
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P11
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P10
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P9
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P8
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P7
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P6
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P5
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P4
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P3
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P2
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 P1
足尾銅山 世界文化遺産暫定一覧表追加記載提案書 文化庁へ提出 表紙
昭和29年(1954) 関東バス 足尾~宇都宮運行
昭和5年(1930) 足尾にはじめてタクシー会社が開業
昭和4年(1929) 豊潤洞移築される。
大正15年8月からガソリンカー
昭和11年(1936)開通式当日の田元橋
陸奥 宗光と古河市兵衛
無用の長物であった製煉所の大煙突
保存された渡良瀬橋
渡良瀬
足尾銅山跡 国史跡指定 下野新聞11月17日掲載
小滝会「足尾銅山の誇り今も絶やさず」 下野新聞11月16日掲載
鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 田元橋
鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 旧小滝(抗口)橋
鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 本山小学校跨線橋(こせんきょう)
鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 仁田元水道橋
鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 第二渡良瀬橋梁
鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 古河橋
鉄(かね)の橋百選 近代日本のランドマーク 第一松木橋梁
足尾銅山の歴史
愛宕下社宅の消毒作業
明治30年まで稼動していた小滝製煉所
在りし日の小滝小学校全景
足尾と二宮尊徳「日光神領復興仕法」
小滝小学校跡の台座の上は、二宮金次郎の銅像と判明
北海道佐呂間町と足尾銅山の関係
自熔製煉法の構造
古河足尾銅山写真帖 が国立国会図書間「近代デジタルライブラリー」で閲覧
足尾銅山で造られた足字銭鋳造枚数の間違い
庚申山の梵天岩
足尾の舟石線を走りました。NO.15 1610銅山発見 治部と内蔵
足尾の舟石線を走りました。NO.14 銀山平キャンプ場
足尾の舟石線を走りました。NO.13 中国人殉難烈士慰霊塔
足尾の舟石線を走りました。NO.12 舟石
足尾の舟石線を走りました。NO.11 峠の景色「熊笹」
足尾の舟石線を走りました。NO.10 鷹の巣抗
足尾の舟石線を走りました。NO.9 石積みの水路では?
足尾の舟石線を走りました。NO.9 峠前の景色
足尾の舟石線を走りました。NO.8 狸堀り跡
足尾の舟石線を走りました。NO.7 現在の本山抗
足尾の舟石線を走りました。NO.6 閉山直前の本山の様子
足尾の舟石線を走りました。NO.5 本山鉱山神社
足尾の舟石線を走りました。NO3 本山抗跡周辺 電線
足尾の舟石線を走りました。NO.2本山抗跡周辺 パイプ
足尾の舟石線を走りました。NO.1本山抗跡周辺
足尾銅山と写真師 小野崎一徳
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 私立足尾銅山小学校
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 足尾銅山を訪れた田中正造
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 撰鉱所内部
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 抗口
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 本山地区全景
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 赤倉製錬所
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 脱硫塔の築造風景
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 脱硫塔築造「夜景」
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 製銅炉工場
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 銅山構内電気鉄道
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 間藤電気原働所
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 馬車鉄道貨物運搬
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 有木抗口前にて
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 小滝中央工場全景
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 本山製錬所全景
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 古河市兵衛翁
足尾銅山と写真師 小野崎一徳 表紙
足尾銅山で採掘された鉱石 黄銅鉱 NO.2
足尾銅山で採掘された鉱石 黄銅鉱 NO.1
今市JC11月例会 「いってみっけ日光」無事終了しました。足尾茶屋マップ「歴史めぐり」
今市JC11月例会 「いってみっけ日光」無事終了しました。足尾茶屋マップA
市議会からこんにちは 銀山平キャンプ場(足尾)の紅葉
足尾銅山を世界遺産に 11/25シンポジュウム
古河橋のハーコート社の銘板
広報にっこう 11月号に「足尾銅山を世界遺産へ」が掲載
10/31 足尾の紅葉
日光そばまつり 市内各地連携 下野新聞掲載
足尾芸術際 
抗夫浴場跡の追加情報
カーバイトカンテラ 2
昭和初期の保安帽
足尾銅山 産業遺産群に 下野新聞10月23日掲載 NO.2
足尾銅山 産業遺産群に 下野新聞10月23日掲載 NO.1
庚申山の歌
足尾の四季
足尾銅山の鉱石「孔雀石」
わたらせ社宅の共同トイレはモダン!
かじか荘のレストランメニューNO.5
かじか荘のレストランメニューNO.5
かじか荘のレストランメニューNO.4
かじか荘のレストランメニューNO.3
かじか荘のレストランメニューNO.2
かじか荘のレストランメニュー NO.1
世界遺産候補 選定協議入り 下野新聞10月16日
アノード板 102キロ
本山小学校前の古い鉄橋
足尾銅山 全景 下野新聞「水紀行」9月30日掲載
足尾銅山 世界遺産へ提案書提出 下野新聞 3面
足尾銅山 世界遺産へ提案書提出 下野新聞 TOP面
銅山街道 「江戸経済を担う」 7 藪塚本町
足尾銅山の世界遺産を推進する会 11月地元でシンポ!
足尾銅山と足利学校 世界遺産候補に推薦「9月21日下野新聞 1面」
銅山街道 「江戸経済を担う」 6 笠懸町
銅山街道 「江戸経済を担う」 5 大間々町
銅山街道 「江戸経済を担う」 4 黒保根村
銅山街道 「江戸経済を担う」 3 東村(勢多郡)
銅山街道 「江戸経済を担う」 2 足尾
銅山街道 「江戸経済を担う」 1
赤倉の南橋付近のガソリンスタンド跡
日光市生涯学習情報紙 にこにこ掲載 「思いを馳せよう!足尾まつり」
わたらせ砂防70周年 ふりかえれば未来新聞
足尾機械 足尾工場 その他 7
足尾機械 足尾工場 地 6
足尾機械 足尾工場 天上 5
足尾機械 足尾工場 天上 5
足尾機械 足尾工場 山車 4
足尾機械 足尾工場 窓と壁 3
足尾機械 足尾工場 2
足尾機械 足尾工場 1
足尾銅山観光 トロッコ用のドックヤード発見
世界遺産に向け、リストアップされている足尾銅山通洞抗
109年で休校した 神子内小学校 4
109年で休校した 神子内小学校 3
109年で休校した 神子内小学校 2
109年で休校した 神子内小学校 1
経済産業省「近代産業遺産の活用による地域活性化推進事業」の産業遺産視察9月4日
足尾銅山 鉱毒被害も世界遺産に 下野新聞9月4日
NAVI 10月号に、えのきどいちろう氏コラム「足尾」が掲載 
足尾銅山世界遺産にむけ日光市登録推進検討委が提案書原案
足尾銅山の世界遺産登録を推進する会の勉強会
通洞 役員住宅を撮影しました 外観
通洞 役員住宅を撮影しました 廊下C
 通洞 役員住宅を撮影しました 廊下B
通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和室 右上
通洞 役員住宅を撮影しました 風呂
通洞 役員住宅を撮影しました 8畳和押入付室
通洞 役員住宅を撮影しました 10畳和室
通洞 役員住宅を撮影しました 廊下A
通洞 役員住宅を撮影しました 玄関
源さんの足尾銅山採掘紀行 必見 
足尾銅山物語
かつら 砕かれた鉱石を集める道具
管理棒
足尾銅山社宅 愛宕下(あたごした) 
古河橋を撮影してきました。
05/05  ノスタルジックハンター
足尾銅山のトロッコは、アプト式
間藤水力発電所跡 
とちこみIN日光 7月号 足尾掲載
本山小学校と旧本山迄の線路
艦上戦斗機「足尾号」 1944
小滝へいって来ました。 小滝小学校・第3中学校 跡
小滝にいって来ました。 小滝抗跡
小滝にいって来ました。 小滝橋
小滝へいって来ました。 抗夫浴場跡
小滝にいって来ました。 小滝抗跡
小滝へ行って着ました。 小滝の里
小滝へ行ってきました。 火薬庫 入り口
Mr.Bike 足尾特集 7月号
Mr.Bike 足尾特集 6月号
第二回トロッコ列車ファッションショ-
銅産量を飛躍的に伸ばした立役者「発破」(ダイナマイト)
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こしあて
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足尾観光のついでに変わったご利益「通洞鉱山神社」
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足尾銅山の歩んだ歴史 足尾のはげ山の理由

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プロフィール

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名前
Onozaki
生年月日
1970年9月29日
正座
天秤座
特技
具志堅ジャンプ
座右の銘
焼け石に鮭

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